読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【143】秋の夜のむつごと


秋の夜の語らい

『古今和歌集』巻十九に
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)の
このような戯歌(ざれうた)が載せられています。

睦言もまだつきなくに明けぬめり いづらは秋の長してふ夜は
(古今和歌集 雑体 凡河内躬恒)

睦言(むつごと)もまだ尽きないのに明けたようだ
どうしたんだ長いという秋の夜は

戯歌は誹諧歌(はいかいか)ともいい、滑稽な和歌のこと。
躬恒は秋の夜は長いという常識に対し、いやいや、
睦言が終わらないうちに明けてしまったじゃないかと
異を唱えてみせたのです。

さて、睦言は「親睦」の「睦」と「言葉」の「言」で、
親しい者同士の打ち解けた会話を指します。
世間話、無駄話も睦言のうちなのですが、
次の歌に見る源雅定(みなもとのまささだ)と
西行(さいぎょう 八十六)との睦言は真摯な内容でした。

《詞書》
月あかゝりける夜 西行法師まうできて侍りけるに
出家の心ざしあるよし物がたりして帰りける後
その夜の名残おほかりしよしなど申しおくるとて

夜もすがら月をながめて契りをきし そのむつごとに闇は晴れにき
(新後撰和歌集 釈教 中院入道右大臣)

雅定は自宅を訪れた西行に出家の意向を示し、
夜もすがら語り合いました。
月を眺めてあなたに出家の約束をした、
その親密な語らいによって心の闇が晴れたというのです。


星空のむつごと

本歌取りの名手といわれた女房歌人
八条院高倉にこのような歌があります。

《詞書》
七夕の後朝(きぬぎぬ)のこゝろをよみはべりける

むつごともまだ尽きなくの秋風に 棚機女や袖ぬらすらむ
(新勅撰和歌集 秋 八条院高倉)

睦言がまだ終わらないのに秋風が吹き
棚機女(たなばたつめ)は涙で袖を濡らすことでしょう

上三句までが躬恒とほぼ同じですね。
後朝(=男女の朝の別れ)に織女が袖を濡らすのは
心ゆくまで睦言を楽しめなかったから。
男女の閨(ねや=寝室)の語らいも睦言です。

七夕を思ひやるこそ苦しけれ まだむつごとも有明の空
(正治初度百首 静空)

藤原実房(さねふさ:静空は法名)は
七夕のあっけない一夜のことを想像するだにつらい、
まだ語りつくせぬ睦言がありながら
有明の空(=月が残っている夜明けの空)を迎えてしまうと。

厳密には陰暦七日頃の月は夜明け前に沈んでいるのですが、
年に一度の逢瀬には夜が短すぎると言いたいのです。

中世以降、月があってもなくても「朝」や「暁」の代わりに
「有明」の語を用いる例が多くなります。
この歌も作者には「あり」と「有明」の掛詞のほうが
重要だったのでしょう。