読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【144】はたらく壬生忠岑


主君を救った忠岑

『大和物語』によると、壬生忠岑(みぶのただみね 三十)は
藤原定國(ふじわらのさだくに:大納言兼右近衛大将)の
随身(ずいじん=要人警護の官吏)でした。

ある夜更け、定國大将は酒に酔って
左大臣の邸に無断で入り込んでしまいました。
闖入(ちんにゅう)者に驚いた左大臣邸は騒ぎとなり、
大将は左大臣から、何のついでがあって入ってきたのかと
叱責されることに。

御供をしていた忠岑はすかさず
松明(たいまつ)を手に跪(ひざまず)き、
このような歌を詠みました。

かさゝぎの渡せる橋の霜の上を 夜半に踏み分けことさらにこそ

鵲(かささぎ)が天の川に渡した橋、
その橋に降りた霜の上を夜中に歩いてきたのですから、
ついでではなく、わざわざ訪問したのですと。

これは大伴家持(おおとものやかもち 六)の
「かさゝぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」を
本歌取りしたとっさの一首でした。

左大臣はこの歌を気に入り、夜が明けるまで酒をふるまい、
大将には褒美の品を、忠岑には禄(ろく=ボーナス)を与えました。


異動を嘆く忠岑

忠岑は『古今和歌集』撰者のひとりであり
三十六歌仙にも選ばれていますが、
境遇は卑官(ひかん=身分の低い官吏)でした。

(前略)近きまもりの 身なりしを たれかは秋の くる方に
あざむきいでゝ みかきより とのへもる身の みかきもり
をさをさしくも おもほえず
こゝのかさねの なかにては あらしの風も きかざりき
今は野山し 近ければ 春はかすみに たなびかれ
夏はうつせみ なきくらし 秋はしぐれに 袖をかし
冬は霜にぞ せめらるゝ かゝるわびしき 身ながらに
つもれる年を しるせれば 五つのむつに なりにけり(後略)
(古今和歌集 雑躰 壬生忠峯)

忠岑は「近きまもり」、つまり
近衛府(このえふ=天皇の警護にあたる部署)の
番長(=近衛府の舎人の長)でした。
それがどういうわけか「外重(とのえ)守る身の
御垣守(みかきもり)」になったが、ふさわしいとは思えないと。

秋の来る方角は西です。
天皇の側近く仕えていたのが、宜秋門(ぎしゅうもん)という
内裏西側の門に近い詰所に移されたのです。

「ここのかさね」は九重(ここのえ)、すなわち宮中を指し、
そこでは嵐の風も聞かなかったが、今の部署は野山が近く
四季を通じてわびしい状況がつづき、
年を重ねて五十六歳になってしまったというのです。

この歌は詞書に「古歌にくはへてたてまつれるながうた」とあり、
自身の不遇を嘆いた古い歌に添えて献上した長歌です。
このような嘆きの歌は『古今』以降の勅撰集にも
多く見られ、めずらしくありませんでした。