続『小倉百人一首』
あらかるた
【146】安達原の鬼(後)
弓で射られた鬼
前編で能『黒塚』のあらすじを紹介しましたが、
福島県二本松市安達ヶ原にはこのような
鬼女の伝承(成立時期不明)があります。
公家の邸に姫君の乳母として奉公していた女、
非情な運命にもてあそばれ、生き別れとなっていた
わが娘をそれと知らずに殺(あや)めてしまいます。
悲嘆と絶望の末、女は鬼と化して旅人を襲うように。
神亀三年(726年)といいますから聖武天皇の時代、
紀州熊野の高僧東光坊(とうこうぼう)祐慶(ゆうけい)が
女の棲家を訪れます。
室内の多数の人骨を見られた女は
本性を現して祐慶を捕えようとしますが、
祐慶が笈(おい=山伏、旅僧などが背負う箱)に
納めていた如意輪(にょいりん)観音によって
白真弓(しらまゆみ)で射られ、落命します。
祐慶はその地に如意輪観音を本尊とする
真弓山観世寺を建立しました。
女が鬼になった経緯はおどろおどろしいので略しました。
しかしあらすじは能『黒塚』とほとんど同じです。
能の作者はおそらくこの民間伝承を知っており、
兼盛も知っていたかもしれません。
有名な話だったかもしれないのです。
安達原は弓の産地
如意輪観音が白真弓を手に現れて鬼を射殺す。
慈悲の権化であるはずの観音がそんなことをするでしょうか。
違和感をぬぐえない話ですが、こんな歌があります。
陸奥の安達の原の白真弓 心こはくも見ゆる君かな
(拾遺和歌集 恋 よみ人知らず)
兼盛の家集『兼盛集』にも同じ歌があり、
詞書に「云ひわたりつれどつれなき女に」とあります。
なびかぬ女に対し、安達原の白真弓のように強(こわ)い、
かたくなで手ごわい人ですねと言っているのですが、
実際に安達原の白真弓は強靭だったそうです。
真弓は檀(まゆみ)の木で作った弓。
樹皮を除いた白木(しらき)の檀を用いたものが白真弓です。
安達原は古くから檀/真弓の産地であり、
『万葉集』には「安達太良真弓」の名で詠まれています。
安達原は安達太良山(あだたらやま)の東麓にあたります。
推測ですが、上記の鬼女伝説は
「安達太良真弓」には鬼をも射殺す威力があると示すための物語、
ブランド戦略だったのではないでしょうか。
高僧の名や具体的な年号、さらに観音まで持ち出したのは
話をもっともらしくするためだったとも考えられます。