読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【148】私撰和歌集の楽しみ


今撰和歌集

藤原清輔(八十四)の義兄弟に
顕昭(けんしょう)という歌人、歌学者がいました。
清輔の父顕輔(あきすけ 七十九)の養子ですが、
猶子(ゆうし)と記す資料もあるので
顕昭の親が顕輔の兄弟だったのでしょう。

顕昭は多くの著作を遺しています。
歌学書、注釈書が多い中に私撰和歌集である
『今撰(こんせん)和歌集』があり、文字どおり今の歌、
同時代の歌人たちの作品が集められています。

あかでのみ此の世つきなば 時鳥かたらふ空の雲とならばや
(今撰和歌集 夏 清輔)

飽かぬ(=満足しない)まま今生(こんじょう)を終えるなら
ほととぎすと親しい空の雲になりたいものだ

百人一首に後徳大寺左大臣(藤原実定 八十一)の
「鳴きつる方をながむれば」があるように、
ほととぎすは雲居(くもい=雲のあるところ、空)に鳴くのです。
それなら自分が雲になれば、心ゆくまで聴けるだろう。
ただそれはこの世が尽きたら、つまり死んでしまったらの話。

この歌は清輔本人の家集を除けば
『今撰和歌集』にしか採られていません。
親しい歌人の肩の力の抜けた、冗談で詠んだ歌。
個人の好みで作った歌集ならではの撰歌です。


私撰ならではの秘歌

他の歌集に見られない歌が多いのが『今撰和歌集』の特徴。
次の歌も他に見当たらず、作者についても特定できないようです。

忘らるゝ我身のうさはわすられて 忘るゝ人のわすられぬかな
(今撰和歌集 恋 女御殿宰相)

あなたに忘れられてしまうわたしのつらさは忘れられるのに
わたしを忘れるあなたをわたしは忘れられないのです

次の歌の作者は時代からして待賢門院堀河(八十)の姉妹、
上西門院兵衛(じょうさいもんいんのひょうえ)でしょうか。
この歌も他に見当たりません。

うぐひすの谷の戸いづる声すなり としの明くるをいかで知るらん
(今撰和歌集 春 兵衛)

鴬が谷の出入口を出ていく声がする
鴬は年が明けるのをどうやって知るのだろう

勅撰和歌集に採られた歌や歌人は箔(はく)がつきます。
しかし勅撰に載る載らないは編纂者の判断次第。
時流に沿わない歌は選ばれにくく、編纂を命じた
天皇や上皇の好みが反映されることもあります。

私撰和歌集は勅撰に漏れた歌を知る楽しみがあり、
撰者が何を評価し、何を面白がっていたかがわかります。

なるみがた志ほかぜ寒み 寝覚する浪の枕にちどり鳴くなり
(今撰和歌集 冬 顕昭)

鳴海潟の潮風が寒いせいで目が覚めた
舟で旅寝していると千鳥が枕元で鳴くのだったよ

「鳴海潟」は尾張の歌枕。「波枕」は海辺もしくは船中の旅寝。
顕昭の実体験ではなく治承三年の三十六人歌合で詠まれた一首です。
三十六人には清輔のほか実定、道因(八十二)俊成(八十三)、
俊恵(八十五)、西行(八十六)、寂蓮(八十七)といった
有名歌人が名を連ねていました。

百人一首に採られず知名度の低い顕昭ですが勅撰入集歌は三十九首。
その著作は長きにわたって読み継がれてきました。
和歌の歴史を語る際に必ず登場する重要人物のひとりです。