続『小倉百人一首』
あらかるた
【152】鴫のはねがき
水辺に群れをなす鴫
最近数を減らしているそうですが、
かつて干潟や水田などに鴫(しぎ)の姿が見られました。
鶴や鷺(さぎ)ほどには目立たないものの
古来日本人に好まれ、和歌や俳句に詠まれてきました。
和歌では西行(八十六)のこの歌がよく知られています。
心なき身にもあはれは知られけり しぎたつ沢の秋の夕ぐれ
(新古今集 秋 西行法師)
秋の夕暮れ、沢から鴫の飛び立つのを見ると、
世を捨てた(=出家した)身でもしみじみ趣を感じるのだったと。
夜半の床しぐれて過ぐるあとにまた 鴫たつ庵のあかつきの夢
(正治初度百首 宜秋門院丹後)
夜半の寝床で時雨が通り過ぎてゆくのを聞いた。
そのあとにまた鴫の飛び立つ音がして、
庵で見ていた明け方の夢から覚めてしまった。
宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご)は
よく眠れなかったようです。
鴫は翼が細い(=面積が小さい)ため羽ばたきの回数が多く、
群れの場合は羽音が大きく聞こえることでしょう。
また鴫は飛び立つ際に大きい声で鳴くといいますから、
丹後は庵の中でもそれと気づくことができたのです。
鴫はたいてい小規模な群れをなしており、
千鳥の群れと鴫の群れが混在していることがあります。
藤原俊成(八十三)にこのような歌があります。
暁は鐘のこゑより鳥の声 千鳥友よび鴫のはねがき
(俊成五社百首 住吉)
明け方は鐘の音より鳥の声に心惹かれるものだ。
千鳥は友を呼んで鳴き、鴫はしきりに羽ばたいている。
俊成は明け方の鳥たちの声や音を愛でています。
当時は住吉大社のすぐ西側まで海が迫っていました。
はねがきとは何か
俊成の歌は耳に聞こえたものを詠んでいます。
鐘の音に千鳥の鳴き声と鴫のはねがきを対比させていますから
「はねがき」は音を伴う行動、羽ばたきであると考えられます。
しかしいっぽうで「はねがき」は
鳥が嘴(くちばし)で羽をしごくこととする説があります。
こちらは目で見るものであり、音は聞こえないでしょう。
月残る門田の面(おも)の明け方に 霧のうちなる鴫のはねがき
(新千載和歌集 秋 後二条院御製)
まだ月の残っている明け方、
門田(かどた¬=門前の田)で羽の手入れをする鴫が
霧の中にうっすら見えているのでしょうか。それとも
霧の中に羽音だけが聞こえて姿は見えていないのでしょうか。
後者のほうが情景としては魅力的ですが…。
待ちわびていく夜な夜なを明かすらん 鴫のはねがき数知らぬまで
(久安百首 待賢門院堀河)
あなたを待ちわびて幾夜を明かすことでしょう。
鴫のはねがきのように数知れぬほどまでに。
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ 八十)の歌は
回数の多いことを鴫のはねがきにたとえています。
「はねがき」は漢字で「羽掻き」と表記されます。
「掻く」には手などをばたつかせるという意味があり、
爪を立ててこする、髪を梳(と)かすという意味もあります。
「鴫がせわしなく羽をしごくように何度も」という解釈もできますが、
「鴫の羽ばたきのように何度も」と、
さらに大げさに詠んだと考えたほうがよさそうです。