続『小倉百人一首』
あらかるた
【154】女房三十六人歌合
絵姿入り歌合
鎌倉時代の中頃らしいのですが、
『女房三十六人歌合』なるものが書かれました。
歌人は平安時代初期の小野小町(九)から
鎌倉時代の殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ 九十)まで、
百花繚乱絢爛豪華空前絶後の顔ぶれ。
といっても実際に歌合が行われたはずもなく、
著名な女房歌人の作品を集めた架空の歌合にすぎません。
和歌史上重要でもなんでもないのですが、
人気だけは長く保ちつづけたようです。
人気の理由は歌人の絵姿でした。
たとえばある伝本は短冊に和歌が書かれ、
その下方に女房装束の作者の肖像が描かれています。
ほかに扇の形の色紙に和歌を書いて絵姿を添えた例もあり、
歌集でありながら絵の比重が大きいのが特徴です。
そしてついに絵が主役となったのが屏風でした。
斎宮歴史博物館所蔵の『女房三十六歌仙図屏風』は
六曲一双の右隻(うせき)左隻(させき)にそれぞれ
十八人の女房が描かれ、もはや調度品、美術品です。
画題の「女房三十六歌仙」は当歌合に選ばれた三十六人を指し、
人数は公任(きんとう 五十五)の
『三十六人撰』(前話参照)に倣ったもの。
すべて勅撰に選ばれた歌人であり、
百人一首に採られた歌人は十九人に及びます。
恨みの歌と皮肉の歌
収録歌は各歌人三首。編者の考える
代表作、有名作を選んだと思われますが、
なかにはなじみの薄い作品も見受けられます。
たとえば右近(三十八)のこの一首。
逢ふことをまつに月日はこゆるぎの 磯にや出でて今はうらみむ
(女房三十六人歌合 右近)
会うのを待つ月日の長さは度を越してしまい、
わたしの心は揺れています。今となっては磯に出て
浦を見る(¬=あなたを恨む)ことにしましょう。
「こゆるぎ(小揺ぎ)の」は「いそ」にかかる枕詞。
相模国の歌枕「小余綾(こゆるぎ)の磯」に
「越ゆ」と「揺るぎ」が掛けられています。
また「まつ」「磯」「浦(=海辺)」は縁語であり、
手が込んでいるというべきか情報過多というべきか。
次の清少納言(六十二)の一首は
らしさがよく表れていると評されるもの。
よしさらばつらきは我に習ひけり 頼めて来ぬは誰かをしへし
(女房三十六人歌合 清少納言)
そうでしょうとも、人が薄情だと知ったのはわたしのせい。
では期待させておきながら来ないのは誰があなたに教えたの。
期待させておいて来なかった男が後日予告もなく訪れ、
機嫌を損ねた清少納言が会うのを拒むと、
あなたは薄情だと言ってよこしたのです。
皮肉の効いた痛烈な詠みっぷりが清少納言らしいというのですが、
どんな女性だと思われているのでしょう。