続『小倉百人一首』
あらかるた
【155】青馬は白い馬
邪気を祓う白馬
藤原定家(九十七)は
藤原良経(九十一)邸で催された「十題百首」で
宮中の儀式白馬節会(あをうまのせちえ)を詠んでいます。
いつしかと春のけしきにひきかへて 雲井の庭にいづるあを馬
(拾遺愚草上 十題)
いつの間にか春らしくなったと思っていたら、
紫宸殿の南庭に節会の白馬(あおうま)がひき出されてきた。
今日は正月の七日なのだったと。
この日、馬寮(めりょう=宮廷の馬を管理する役所)から
二十一頭の白馬がひき出されて天皇がそれを観覧。
つづいて宴会も行われましたが、
行事のおもな目的は馬を見ることでした。
新春に青い馬を見ると邪気が祓われると信じられていたのです。
陰陽説では春を陽と考え、馬も陽の生き物。
七頭の馬を三回に分けてひき回したのも
七と三が陽の数だったからでしょう。
いっぽう五行説では春の色を青と考えており、
これらを総合したものが白馬節会になったようです。
水鳥の鴨の羽色の青馬を けふ見る人は限りなしといふ
(万葉集巻二十 4494 大伴宿禰家持)
節会が永遠の命を得ようとするまじないだったことを示す一首。
鴨の羽の色のように青いと家持(六)は詠んでいますから、
もともとはほんとうに青い馬だったのでしょう。
とはいえ真っ青な馬がいたとも思えず、
葦毛(あしげ)という明るい灰色の馬のことではないか、
青みのある黒い毛(=青毛)の馬ではないか等々、
諸説あって決め手がないのが実情のようです。
あをうまはなぜ白い
神社に奉納されている木馬は
白馬という文字を信じたからか、いずれも白い馬です。
日本人には白が神聖な色だったからとも考えられますが、
節会の馬が「あをうま」という名ばかり残して
白い馬に変わったのは平安時代に入ってからのようです。
降る雪に色も変はらでひくものを 誰があを馬と名づけ初めけむ
(兼盛集)
平兼盛(四十)は雪と色が違わない(=白い)馬を
ひいておきながら、誰が「あをうま」と呼び始めたのかと、
もっともな疑問を呈しています。
兼盛のころは白馬(はくば)が一般的だったのでしょう。
春霞まつひきわたるあを馬を 葦毛なりとは誰か見ざらむ
(経信集)
源経信(七十一)は七日が小松引きの日でもあることを踏まえ、
松を引くのと馬を牽くのを掛けています。
白馬(あおうま)を見て誰がかつての葦毛と思うだろうかと。
白い毛に黒など他の色が混じって灰色に見えていた葦毛は
成長するにしたがって色の毛が抜け、白い馬になるのだそうです。
経信にはその知識があったのですね。