読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【157】極楽の門(前)


極楽はどこにある

天国は天の国と書きますから、
空の上のほうにあるのだろうと想像できます。
いっぽう極楽は極めて楽しいと書きますが、
どの方角に行けばたどり着けるのでしょう。

経典によれば極楽があるのははるか西、
西方十万億土(さいほうじゅうまんおくど)の彼方です。
仏のいる国が十万憶、つまり数えきれないほど多くあり、
その先に極楽があるのです。

仏(ほとけ=仏陀)は大乗仏教、密教の発展に伴って数が増えました。
梵語「ブッダ」は目覚めた人、悟った人を意味する言葉なので、
お釈迦さま以外にも多くの仏がいると考えられたのです。

なじみ深いところでは、
奈良東大寺(華厳宗)の大仏は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、
鎌倉高徳院(浄土宗)の大仏は阿弥陀仏(あみだぶつ)です。
毘盧遮那仏は蓮華蔵(れんげぞう)世界の主(あるじ)であり、
阿弥陀仏が住んでいるところが極楽です。

日本では源信や空也の登場によって、
平安中期くらいから極楽往生を願う人が増え始めました。
往生は往(い)って生まれることです。

ごくらくに向ふ心は へだてなき西のかどよりゆかんとぞ思ふ
(相模集)

相模(さがみ 六十五)が大阪四天王寺の西大門を詠んだ一首。
極楽往生を願う心は、極楽までの間に隔てるもののない
西の門から向かいたいと思うと。
寺の西側にある西大門は極楽門とも呼ばれ、
この門のまっすぐ西に極楽の東門があると人々は考えたのです。

こゝにして光をまたむ 極楽に向かふと聞きし門に来にけり
(赤染衛門集)

極楽に通じると聞いて西大門にやって来た
赤染衛門(あかぞめえもん 五十九)が
待っていたのは西の海に沈む夕日でした。
あの夕日は今、極楽を照らしているに違いない。
そしていつの日か、あの光の中からお迎えがやって来ると。

当時は西大門の先はすぐ海でしたから、
隔てるものもなく極楽の東門に向かい合っていると
考えやすかったのでしょう。
いつの時代かわかりませんが、彼岸の中日には
入日の先に極楽が見えるとさえ言われていたそうです。


極楽の光

赤染衛門の仕えていた中宮彰子も
四天王寺の西大門を訪れていました。

酉の時ばかりに天王寺の西の大門に御車とゞめて
波のきはなきに西日のいりゆく折しも拝ませ給ふ
(栄花物語 殿上花見)

長元四年九月二十八日、住吉詣でののち、
中宮彰子の一行はその華麗さに大群衆の注視するなか
海岸に沿って北上し、四天王寺西大門に到着。

彰子は境内に入る前にまず車中から夕日を拝んでおり、
それが目的で夕方を選んだのでしょう。
酉(とり)は夕方六時の前後二時間ほどを指します。

ちなみにこの日、弟の藤原頼道(よりみち)が
彰子に同行していましたが、頼道といえば
この世の極楽と呼ばれた平等院鳳凰堂*を建立した人物。

ふたりの父親である道長はそれ以前に
阿弥陀堂(無量寿院=のちの法成寺)を建てていましたから、
平安時代中期の阿弥陀信仰の浸透ぶりが想像できます。

*旧バックナンバー【211】【256】参照