続『小倉百人一首』
あらかるた
			【158】極楽の門(後)
波の彼方に
 右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは 五十三)に、
  海に漕ぎ出す法師の絵を見て詠んだという
  このような歌があります。
    《詞書》
    屏風に 法師の舟にのりてこぎいでたる所
    わたつ海はあまの舟こそありときけ のりたがへてもこぎいでたるかな
    (拾遺和歌集 雑 右大将道綱母)
また源俊頼(としより 七十四)にも似た歌が。
    《詞書》
    屏風絵に 天王寺西門に法師の舟に乗りて
    西ざまに漕ぎ離れ行く形かきたる所をよめる
    あみだぶと唱ふる声を梶にてや くるしき海を漕ぎ離るらむ
    (金葉和歌集 哀傷 源俊頼)
  同じ屏風を見たかどうかわかりませんが、
  描かれていた法師が目指したのは西方浄土(さいほうじょうど)、
  阿弥陀仏のいる極楽です。(前話参照)
  道綱母は、海には海人(あま)の舟があると聞いているけれど、
  法(のり)の舟と乗り間違えて海人の舟で
  漕ぎ出してしまったのだろうかと。
  法の舟は仏法を人を彼岸(=涅槃、悟りの世界)に渡す
  舟に例えた表現です。
  俊頼はあみだぶ(=阿弥陀仏)と唱える声を梶(かじ)にして
  生きづらい現世という海を漕ぎ離れていくのだろうと、
  法師の心情を思いやっています。
  詞書にある四天王寺西大門は極楽門と呼ばれ、
  西の海の果てにある極楽の東門に通じていると考えられていました。
念仏の勧め
「あみだぶ」と唱える声が梶になると俊頼は詠みました。
  声が水先案内人となって迷わず極楽に導かれるというのですが、
  それを保証していたのが空也でした。
    ひとたびも南無阿弥陀仏と言ふ人の はちすの上にのぼらぬはなし
    (拾遺和歌集 哀傷 空也上人)
  一度でも「南無阿弥陀仏」と唱えた人は
  極楽の池の蓮(はちす)の上に生まれ変わる。
  空也はこの歌を都の町家の門に貼ったと伝えられています。
  念仏は仏の姿や功徳を念ずる(=心に思う)ことですが、
  空也は「南無阿弥陀仏」と口で唱える
  称名念仏(しょうみょうねんぶつ)を広めました。
  俊頼の歌の「あみだぶ」は「なむあみだぶつ」より
  三音も少ないのですが頼れる梶になったようで、
  実際のところ「なもあみだ」「なんまいだ」「なまんだぶ」など、
  もとの「南無阿弥陀仏」からかけ離れた
  呪文のような言葉が唱えられていました。
    何となく物ぞかなしき 秋風の身にしむ夜半の旅の寝覚めは
    (千載和歌集 雑 仁上法師)
  秋風が身に沁みて旅先での夜半の寝覚めは
  なんとなく物悲しいというのですが、
  五・七・五・七・七の最初の文字が
  「なもあみた」になっています。
  これは折句(おりく)という手法です。
  言葉遊びの一種ですが作者は法師であり、
  「なもあみだ」が念仏として一般的になっていたことがわかります。
