続『小倉百人一首』
あらかるた
			【160】春の女神
霞の衣
 春の霞。
  見慣れた風景がぼんやり翳(かす)み、
  寒さも和らいで冬の終わりを実感させてくれます。
    春のきる霞のころもぬきをうすみ 山風にこそみだるべらなれ
    (古今和歌集 春 在原行平)
  春が霞の衣(ころも)を着ています。
  その衣は緯(ぬき=横糸)が薄いので
  山を吹き下ろす風には乱れてしまいそうだと、
  在原行平(ありわらのゆきひら 十六)は気にかけています。
    さほ姫の糸染めかくる青柳を 吹きなみだしそ春の初風
    (兼盛集)
  枝垂(しだれ)柳の細くしなやかな枝は糸にたとえられます。
  平兼盛(たいらのかねもり 四十)は
  青柳の若緑を佐保姫(さほひめ)が染めた色と考え、
  春の初めの風に糸を吹き乱すなと呼びかけています。
  兼盛の詠んだ佐保姫は春の女神です。
  平安初期の行平はただ「春」と書いていますが、
  平安中期になると「佐保姫」という固有名詞が用いられはじめ、
  兼盛の歌はその最初の例と考えられています。
    佐保姫のうちたれ髪の玉柳 たゞ春風の梳(けづ)るなりけり
    (堀河百首 春 大江匡房)
  打垂れ髪は結わずに垂らした髪、玉柳(たまやなぎ)は柳の美称です。
  大江匡房(おおえのまさふさ 七十三)は
  春の柳を女神の髪にたとえ、髪が揺れるのは
  春風がひたすら梳る(=くしで髪をとかす)からだと。
  「春の打垂れ髪」と詠むならば明らかに擬人化ですが、
  「佐保姫の打垂れ髪」では擬人化の印象が弱まります。
  女神が実在するかのような親しみがわいてきますね。
佐保の柳
佐保は奈良市北部の地名であり、
  その丘陵地帯が佐保山と呼ばれていたようです。
  この地が春と結びついたのは平城京の東にあったから。
  五行説の影響により、春は東から来ると考えられていたのです。
  ちなみに秋の女神である竜田姫(たつたひめ)は
  平城京の西にある竜田山の神です。
    刺す竹の大宮人の家と住む 佐保の山をば思ふやも君
    (万葉集巻第六955 太宰少弐石川朝臣足人)
  「刺す竹の」は宮廷関連の語にかかる枕詞。
  この歌から佐保山には大宮人(おおみやびと=
  宮中に仕える官人、公卿)の家々があったことがわかります。
  また佐保川に沿った道路、佐保路(さほじ)が整備され
  河岸には柳が植えられていました。
    うちのぼる佐保の河原の青柳は 今は春へとなりにけるかも
    (万葉集巻第八1433 大伴坂上郎女)
  さかのぼって行くと、佐保の河原の青柳は
  すでに春らしいようすになっていることだろうと。
  佐保は万葉の時代からすでに春の柳と結びついていたのです。
