続『小倉百人一首』
あらかるた
			【169】名所月歌合
お題は月のみ
貞永(じょうえい)元年八月十五夜、
  題は「名所月(めいしょのつき)」のみという
  歌合(うたあわせ)が開かれました。
  有名歌人の少ない小規模な歌合でしたが、
  のちに『新勅撰和歌集』や『続後撰和歌集』などに
  いくつかの歌が載録されています。
  そんな中、判者を務めた藤原定家(九十七)が
  「満座褒美(まんざほうび)」と書き記したのは
  源家長(みなもとのいえなが)のこの歌でした。
    いづくにもふりさけいまや 三笠山もろこしかけて出づる月影
    (名所月歌合 家長朝臣)
    どこでも今は振り仰いでいることだろう
    三笠山から唐土(もろこし)にかけて出ているこの月を
  壮大なスケールの歌ですが、
  言うまでもなくこの歌の本歌は百人一首にある
  仲麻呂(=仲麿)の歌です。
    天の原ふりさけみれば 春日なる三笠の山にいでし月かも
    (七 安倍仲麿)
    空を仰ぎ見ると月が出ているが
    あれはかつて春日の三笠山に出ていた月なのだなあ
  仲麻呂の望郷の思いを念頭に、
  三笠山の上に出ている月は
  はるか西の唐土をも照らしているだろう。
  仲麻呂もこの月を見ているのではないかと。
  仲麻呂は先進国である唐の皇帝に重用された官僚界のレジェンド。
  家長の歌を満座、つまりその場にいる人すべてが
  褒美した(=褒め称えた)というのも、
  先人への尊敬の念が失われていなかったからでしょう。
先人への敬意
 家長同様の本歌取りで好評だったのが
  藤原実持(ふじわらのさねもち)のこの歌です。
    夕なぎの明石の門(と)より見渡せば 大和島根を出づる月影
    (名所月歌合 実持朝臣)
    夕凪の明石海峡から見渡すと
    大和の山々から月が姿を現していることよ
  大和島根(やまとしまね/大和島とも)は大和国(奈良県)の山々。
  明石海峡から見ると島のように見えるのだそうです。
  この歌から、同席の歌人たちは偉大な先人、
  和歌のレジェンドの一首を思い出しました。
    あまざかる鄙(ひな)の長道ゆ恋ひ来れば
    明石の門(と)より大和島見ゆ
    (万葉集巻第三 255 柿本人麻呂)
    田舎から長い道のりを経て恋しく思いながら来てみると
    明石の海峡から大和の山々が見えることだ
  『万葉集』にある人麻呂(三)の旅の歌八首のうちの一つ。
  瀬戸内海を旅した際に詠まれたといい、
  恋しく思っていたのは奈良の都と思われます。
  都への帰路、明石海峡まで来たところで
  懐かしい山々が見えた喜びの伝わる歌です。
  定家の実持の歌への評価は、
  古歌の心を活かし、気高く聞こえるというものでした。
  この夜の歌合ではほかにもいくつか本歌取りが詠まれたのですが、
  わざとらしいなどと不評を買ったものもあり、
  判定は厳しいものだったようです。
※旧バックナンバー【4】【221】参照
