続『小倉百人一首』
あらかるた
			【173】躬恒と女郎花
秋の野の夢
秋の野に咲く代表的な花の一つ、女郎花(おみなえし)。
  凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)の家集に
  このような歌があります。
    秋の野に夜もや寝なむ女郎花 花の名をのみ思ひ懸けつゝ
   (躬恒集)
  女郎花の咲く秋の野辺にこのまま夜も寝ていよう、
  花の名だけを思いながら…。
  花好きの風流な人物が思い浮かびますが、
  「花の名をのみ」にはどんな意味があるのでしょう。
躬恒には野に咲く女郎花の題でこんな歌もあります。
    女郎花多かる野辺を見る時ぞ 我が老いらくは悔しかりける
    (躬恒集)
  『後撰和歌集』に第二句を「にほふさかりを」とする
  よみ人知らずがありますが、いずれにしても
  女郎花を見ておのれの老年を悔しがっています。
  能因(のういん 六十九)の『能因歌枕』には
  女郎花は「女にたとへてよむべし」と書かれています。
  女郎花を女だと思って詠めというのですが、
  躬恒は「おみな(=女)」を「おみなえし」に置き換えました。
  大勢の女性、あるいは「にほふさかり(=美しい盛り)」の
  女性を見て、自分が若かったらなぁと
  ありがちな嘆息を漏らしたのです
老いても恋を求めて
 躬恒の家集には老いを意識した歌が多く、
  かつての恋人にもこんな歌を詠んでいます。
    《詞書》
    我を知り顔に人にいふなと云ひ侍りける女に
    足引の山に生ひたるしらかしの しらずや人を朽木なりとも
    (躬恒集)
  付き合っていたかのように他人に言うなと言われた躬恒、
  山に生えている老いた白樫(しらかし)じゃないが、
  老人になったとはいえ(あの頃のことを)
  知りませんとは言えないでしょうと。
  「生ひ」と「老い」を掛け、「しらかし」から「しらず」を導き、
  「山」「白樫」「朽木」と縁語を連ねた歌が訴えているのは、
  結局のところ昔の恋人への恨みごとでした。
  躬恒が望んでいたのは相思相愛の恋。
  ただそれは幸福感に満ちた順調な恋ではないかもしれない。
    わがごとく我を思はむ人もがな さてもや憂きと世をこゝろみむ
    (古今和歌集 恋 凡河内躬恒)
  わたしが思うほどにわたしを思ってくれる相手が欲しいものだ。
  それでもなお世(=男女の間)はつらいものなのか
  試してみようじゃないかと。少々難解ですが、
  なまじ恋をしたばっかりに毎日がつらくなったとしても、
  それでもかまわないと言いたいのでしょう。
