続『小倉百人一首』
あらかるた
【174】秋の日
秋の詩情
秋が短くなったのを実感する昨今ですが、
秋が今より秋らしかったであろう明治三十六年、
高浜虚子はこう詠んでいました。
秋風や 眼中のもの皆俳句
秋風が吹くようになると
目に入るものすべてが俳句の題材になるというのです。
それは歌人にとっても同じこと。
都で急ぎ足の女性を見かけた藤原定家(九十七)は
このような一首を詠んでいます。
秋の日に都をいそぐ賤の女が かへるほどなき大原のさと
(拾遺愚草 上 藤原定家)
「賤(しづ)の女(め)」は大原女(おはらめ)のこと。
高野川(たかのがわ)上流の大原から都に出て、
薪や柴、炭などを売り歩いた行商の女性たちです。
普段より急いで売り歩いても、
帰るまでに大原の里は日が暮れてしまうだろうと。
いっぽう遠くに見える旅人の姿に
心を寄せたのは伏見院(ふしみのいん:在位1287-98)です。
山風も時雨になれる秋の日に ころもやうすき遠の旅人
(風雅和歌集 秋 伏見院御歌)
山から吹き下ろす冷たい風が通り雨になる秋の日、
遠(おち=遠方)から来た旅人の衣は薄くないだろうか。
定家同様、伏見院も人の姿から季節を感じ取っています。
色かはる柳がうれに風過ぎて 秋の日さむき初雁の声
(風雅和歌集 秋 藤原為基朝臣)
色あせてゆく柳の末(うれ=梢)に風が吹き、
秋の日差しは弱く、今年初めての雁の声が聞こえてくる。
為基(ためもと)は眼中のものだけでなく、耳に入るもの、
肌に感じるものからも時の移ろいを知り、歌にしました。
柳、風、日、気温、雁と、要素が多すぎる気もしますが、
秋は歌の題に事欠かない季節なのです。
秋は人を詩人にするか
秋風が吹いたからといって、
誰でも眼中のものが俳句や和歌になるはずがない。
そう思ったのでしょうか、定家にこんな一首があります。
秋の日はものおもふ人の関なれや ふりしく木葉行く道もなし
(拾遺愚草員外 雑 藤原定家)
秋の日はもの思う人にとって関(あるいは堰)なのだろう。
木の葉が降り敷いて(もの思う人は)進む道がない。
気にせず踏んだり蹴散らしたりして行く人もあるなか、
散る木の葉に立ち止まってしまう人は
もの思う人であり、詩人なのです。
いっぽう西行(八十六)は、秋は人の心を変えると言います。
おしなべてものを思はぬ人にさへ 心をつくる秋の初風
(新古今和歌集 秋 西行法師)
おしなべて(=一般論として)、初秋の涼風は
もの思いなどしない人にさえ感傷的な、秋らしい気分を与えると。
それを肯定しているのかのような歌を
源俊頼(としより 七十四)が詠んでいます。
秋風や涙もよほすつまならむ 音づれしより袖のかわかぬ
(千載和歌集 秋 源俊頼朝臣)
「つま」はきっかけ、端緒。
秋風が訪れてから涙が止まらなくなったというのは、
西行が指摘したように感傷的になったからです。
本稿前半で紹介した定家、伏見院、為基の歌に
感傷的なところはありませんが、
涙で袖のかわかない秋の歌は山ほどあり、
秋風の力はあなどれないようです。
