読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【175】猿の歌(前)


哀猿三声

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)と
源兼昌(みなもとのかねまさ 七十八)が、
猿を題に似た歌を詠んでいます。

心あらば 三度てふたび鳴く声をいとゞわびたる人に聞かすな
(躬恒集)

思ふこと大江の山に 世の中をいかにせましと三声なくなる
(永久四年百首 猿 源兼昌)

躬恒の歌には下の句を
「いとゞもの思ふ我に聞かすな」とする別本もありますが、
いずれにせよ猿が三度(みたび)鳴いています。
猿よ、おまえにやさしさがあるならば、
三度繰り返すという鳴き声を思い悩む人に聞かせるなと。

兼昌の歌は、
悩みが多い世の中(=人生)をどうしたものかと思っていると、
追い打ちをかけるかのように大江山に
猿が三声(みこゑ)鳴くのが聞こえるというのです。

どちらの歌にも猿とは書かれていませんが、
哀しげに三度鳴くのは猿なのです。
というのも…

『和漢朗詠集』に唐の詩人白居易(=白楽天)の
猿の詩が二篇採られています。

江は巴峡(はかふ)より初めて字を成す
猿は巫陽(ぶやう)を過ぎ始めて腸を断つ
(和漢朗詠集 巻下 白)
原文:江從巴峡初成字 猿過巫陽始断腸

長江(=揚子江)は巴峡(はきょう)からはじめて巴の字となり
猿は巫陽(ぶよう)を過ぎてはじめて哀しみを込めて啼く

三声の猿の後に郷涙(きやうるい)を垂る
一葉の舟の中に病(やまひ)の身を載せたり
(和漢朗詠集 巻下 白)
原文:三声猿後垂郷涙 一葉舟中載病身

猿が三声啼くのを聞いて望郷の涙を流し
小さい一艘の舟にわたしは病んだ身を載せている

白居易は平安時代に最も親しまれていた詩人のひとり。
躬恒たちの歌はその影響を受けているのです。


長江の猿

中国南北朝期の逸話集『世説新語(せせつしんご)』に
子を失った母猿の腸(はらわた)がちぎれていたという話があり、
慣用句「断腸の思い」の語源ともいわれています。

また白居易より一世代前の杜甫(とほ)の詩『秋興八首』にある
猿の声を三度聞くと涙が流れる(聴猿実下三声涙)という一節は、
巴峡の古い伝承を採り入れたものと考えられています。

長江上流の巴峡は川が巴字のようにくねった急流。
雄大な渓谷に響く猿の声は長い余韻を伴って
谺(こだま)することでしょう。
日本の狭い谷に響く猿の声とは趣きを異にすると思いますが、
室町時代初期の歌人正徹(しょうてつ)はこう詠んでいます。

たへてきけみ山の鳥と松の風 夕の雨に猿さけぶ声
(草根集 雑)

詞書に「山家」とあり、
山里に住む者は妻を呼ぶ山鳥の声、寂しい音の松風、
夕(ゆうべ)の雨に猿の叫ぶ声を耐えて聞けというのです。
猿の声は寂寥感や哀感を増すものと捉えられており、
躬恒以来の伝統が受け継がれています。

→後編に続く