続『小倉百人一首』
あらかるた
【176】猿の歌(後)
哀しみをさそう猿の声
猿の歌がいつごろから詠まれていたのかわかりませんが、
現存する和歌で「猿」の語が出てくるのは
大伴旅人(おおとものたびと)のこの歌が最古の例のようです。
あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと
酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る
(万葉集巻第三344 雑 太宰帥大伴卿)
ああ見苦しい 偉そうにして酒を飲まない人は
よく見たら猿に似ているじゃないか
これは「酒を讃めし歌十三首」の内の一首で、
「猿の浅知恵」という言葉に基づいているのでしょう。
飲まない人は見た目が猿に似ているのではなく、
猿程度の知恵しかないと言っているのです。
旅人の歌は猿を引き合いに出しただけ。
猿が歌題として定着していくのは
平安時代から鎌倉時代にかけてのことでした。
平安後期永久四年の歌集『永久百首』には
このような歌が収められています。
夕づく日さすや嵐の山本に 物わびしらに猿さけぶなり
(永久百首 雑 藤原仲実)
夕方になり、風の吹きおろす麓に傾いた日が差している。
そんななか、わびしそうに猿が叫んでいることだ。
猿にはせつない思いがあるというのでしょうか。
仲実(なかざね)は「ものわびし」と感じていますが、
猿の声は哀感を伴うものとして詠まれる傾向がありました。
さらぬだに老いてはものゝ悲しきに 夕のましら声なきかせそ
(永久百首 雑 大進)
こちらは六条院女房大進(だいしん)の歌。
「ましら」は猿のことです。
そうでなくても老いた身はなんということもなく悲しいもの。
それなのに夕方の猿よ、悲しい声を聞かせるなと。
仲実と同様に猿の声に感情移入していますが、
これがこの時代の和歌の主流だったようです(前話参照)。
ありのままの猿
猿の声が身近なのは猟師、樵(きこり)や世捨て人。
高野山に住んでいた西行(八十六)は
大原に住む寂然(じゃくねん)にこんな歌を届けています。
山深み苔の筵の上にゐて 何心なく鳴くましらかな
(山家集下)
苔の筵(むしろ)の上にいるのは西行か、猿か。
いずれにしても猿は「なにこころなく」鳴いており、
西行は侘しさも哀しみも感じていないようです。
また同時代の寂蓮(じゃくれん 八十七)は
猿鳴く峰の木の実を拾ひても 心澄むべき庵なりけり
(寂蓮無題百首)
猿(ましら)の鳴く峰で木の実を拾うだけでも
山中の庵暮らしは心を澄ますことができると言い、
寂蓮は猿の声を好ましく感じているかのよう。
心すむ柴の仮屋の寝覚めかな 月ふく風にましら鳴くなり
(御室五十首 静空)
藤原実房(さねふさ:静空は法名)も
猿の声に「心澄む」と詠んでいます。
柴の仮屋(=粗末な家)に住んで寝覚めの月を見る。
そこに風が吹いて猿の鳴く声を運んでくる。
自然のまま、ありのままを受け容れるうちに
雑念が消え、心が清らかになり、悟りの境地に近づく。
僧侶歌人たちはそう思っていたのかもしれません。
