読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【178】孤高の松


松は理想の姿

松はめでたい樹木の代表格であり、
長寿や繁栄の象徴として古くから詩歌に詠まれています。
百人一首に詠まれた松は「待つ」との掛詞だったり
単なる地名だったりしてめでたさとは無縁ですが、
『古今和歌集』にはこのような歌があります。

雪ふりて年のくれぬる時にこそ つゐにもみぢぬ松もみえけれ
(古今和歌集 冬 よみ人知らず)

雪が降って年も暮れた時にこそ
松がついに紅葉しなかったことに気づくのだったよ

松は雪が降っても紅葉しない。当たり前の話なのですが、
この歌は『論語』の一節の翻案と指摘されています。
その一節というのは「歳寒然後知松柏之後凋也(としさむくして
しかるのちしょうはくのしぼむにおくるるをしる)」というもの。

松柏(しょうはく=松や柏などの常緑樹)を艱難辛苦に耐えて
己を貫き通す立派な人物のたとえにしたものだそうです。
別の言い方をすれば逆境に強く、信念を曲げず、
節操のある人ということになるでしょうか。
「もみぢぬ松」は人としての理想の姿なのです。


一本松を讃える

古の漢詩集とされる『懐風藻(かいふうそう)』に
「孤松(こしょう)を詠ず」と題した作品があります。

隴上孤松翠 隴上(ろうじょう)の孤松翠(みどり)に
凌雲心本明 凌雲(りょううん)心もと明らかなり
餘根堅厚地 餘根(よこん)厚地を堅め
貞質指高天 貞質(ていしつ)高天を指(ゆびさ)す
(後略)

丘の上の一本松は緑色で雲を凌(しの)ぐほど立派であり
張った根は大地を捉え高潔さは高く天を指している

作者は持統天皇(二)の時代の廷臣。
この漢詩も孤高の松を擬人化し、
人の理想的なありように重ねています。

中国思想の影響なのでしょうが、
あまり時代の違わない『万葉集』には、
おなじ一本松でもこのような歌が採られています。

一つ松幾代かへぬる 吹く風の声の清きは年深みかも
(万葉集巻第六 1042 市原王)

たまきはる寿は知らず 松が枝を結ぶ情は長くとそ念ふ
(万葉集巻第六 1043 大伴宿祢家持)

どれだけの時を経たのかわからないが、
松に吹く風の音が清らかなのは年が深い(=長い)からではないか。
市原王(いちはらのおおきみ)は松の長寿を詠んでいます。

家持(六)は、おのれの寿(いのち=寿命)は知らないが、
松の枝を結ぶ情(こころ)はいのち長かれと
念(ねが)っているのだと。
松の枝を結ぶまじないがあったらしく、
松の長寿にあやかろうとしています。

前書きによれば、この二首は活道(いくじ)の岡の
一本松の下で酒宴を催した際に詠んだもの。
神話の世界では倭建命(やまとたけるのみこと)が
岬の一本松の下で食事をしたり松を称える歌を詠んだりしており、
一本松には古くから象徴的な意味があったと思われます。