読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【181】春の日


春はのどけし

欧州に中世の吟遊詩人の作とされる
『カレンダ・マイア』という曲が伝わっています。
曲名は「五月一日」を意味しており、五月になれば
野山が緑になり、花々が咲き、鳥たちがさえずり始め、
恋の季節が訪れると歌い、春の訪れを祝う内容になっています。

欧州の、ことにアルプスの北側は春が遅いため、
春を実感するのは五月になってからなのだそうです。
日本では三月から五月までが春とされていますが、
旧暦では一月から三月までが春でした。
五月どころか、三月にはすでに行く春を惜しんでいたのです。

しら雲にまがへし花はあともなし やよひの月ぞゝらにのこれる
(新勅撰和歌集 春 入道前太政大臣)

藤原公経(きんつね 九十六)が詠んだ三月の歌。
白雲と見間違えたほどの桜の花は跡形もない。
見上げても三月(やよい)の月ばかりが空に残っている。
春の楽しみは終わってしまったと言いたげです。

久堅の光のどかに 桜ばな散らでぞにほふはるのやまかぜ
(新後撰和歌集 春 従二位家隆)

藤原家隆(いえたか 九十八)は紀友則(三十三)の
「ひさかたの光のどけき春の日に」を本歌としています。

友則はせっかくののどかな日なのに
花はせわしなく散っていくと嘆いていましたが、
家隆の歌では春の山風に吹かれても散らずに咲いています。
友則の歌を光のどかな春にふさわしい光景に変えたのです。

「のどけし」は春をあらわす代表的な形容詞であり、
うららかで、穏やかで、のんびりした状態を指します。

のどかにもやがてなり行くけしきかな 昨日の日影けふの春雨
(玉葉和歌集 春 院御製)

伏見院(ふしみのいん)が一月初めごろに詠んだ一首。
「けしき」は「景色」ではなく「気色」です。
昨日の日差し、今日の春雨は、遠からず
のどかな季節になる兆しなのだと、
早くも春の気分になっています。


春の日長

「暮れなずむ」と言われるようになかなか暮れない春の空。
藤原道信(みちのぶ 五十二)にこんな歌があります。

つれづれと思へば長き春の日に たのむことゝはながめをぞする
(後拾遺和歌集 恋 藤原道信朝臣)

春の日は長い。なすこともなく過ごせばなお長い。
せめてもの利点と言えば、その遑(いとま)を生かして
好きなだけもの思いにふけることだと。

あはずして今宵明けなば 春の日のながくや人をつらしと思はむ
(古今和歌集 恋 源宗于朝臣)

会わずに夜が明けたなら、
春の日のように長くあなたを恨むことでしょう。
源宗于(むねゆき 二十八)は
春の日を長いものの代名詞のように扱っています。

けふしこそ長しと思ひし春の日も 花の木陰にあかず暮れぬれ
(玉葉和歌集 雑 藤原親方朝臣)

今日という今日こそ、長いと思っていた春の日を
花の咲く木陰で飽きることなく過ごしたことだ。
親方(ちかかた)も春の日長(ひなが)を詠んでいますが、
春の日の長さを忘れさせるほどだったと
桜を讃える歌になっています。