続『小倉百人一首』
あらかるた
【182】公任と清少納言
すこし春ある
藤原公任(ふじわらのきんとう 五十五)の家集に、
このような連歌が収められています。
人に 春のはじめなり
すこし春ある心ちこそすれとの給ひければ
吹きそむる風もぬるまぬ山里は
(前大納言公任卿集)
相手は不明ですが、
公任が「春のはじめである。少し春の気分がするようだ」と
おっしゃったのに対し、その相手が
「吹きはじめた風もまだ温(ぬる)んでいない山里は」と
返したというのです。
公任が示したのは下の句、相手が返したのは上の句です。
これは短連歌(たんれんが)とも呼ばれる合作で、完成形は
「吹きそむる風もぬるまぬ山里は すこし春ある心ちこそすれ」
となります。
清少納言(六十二)の『枕草子』にも
同じ「すこし春ある」が出てきます。
二月つごもり頃、つまり二月の末頃に公任の使いが来て、
「すこし春あるこゝちこそすれ」と書いた
懐紙(ふところがみ)を渡しました。
清少納言は上の句を詠めという意味だと理解しましたが、
歌を返す相手がよりによって公任です。
身分がはるか上なのはもちろん、和歌の腕前もはるか上。
相談する人もそばにおらず、せかされるままに
「空さむみ花にまがへてちる雪に」と書いて渡したものの、
けなされたらどうしようかなどと思い悩んでしまいました。
連歌の完成形はこうなります。
「空さむみ花にまがへてちる雪に すこし春あるこゝちこそすれ」
当日は風が強く、暗い空から雪が散っていました。
それを反映させ「空が寒くて花と見間違えるように散る雪に」と、
清少納言は上の句を付けて返したのです。
インテリならではの合作
このやり取りは白居易(=白楽天)の詩文集
『白氏文集(はくしもんじゅう)』にある
「南秦雪(なんしんのゆき)」に基づくものでした。
清少納言は『枕草子』に「書(ふみ)は文集(もんじふ)」と記し、
『白氏文集』を書物の筆頭に挙げています。
愛読書だったと思われ、『枕草子』には
うろたえたかのように書いていますが、
じつはすぐピンときたのではないでしょうか。
「南秦雪」前半四句はこのようなものです。
往歳(わうさい)曾(かつ)て西邑(せいいふ)の吏と為り
駱口(らくこう)より南秦(なんしん)に到るに慣る
三時雲冷やかにして多く雪を飛ばし
二月山寒くして春有ること少なし
(『白氏文集』巻十四「南秦雪」)
往(い)にし年、私はかつて西方の村の役人になり、
駱口(らくこう)から南秦(なんしん)に行くのに慣れていた。
南秦では春も夏も秋も雲は冷たく雪を散らし、
二月でも山は寒くて春らしい時期はわずかしかない。
公任は四句目を「すこし春ある」と解釈して下の句を詠み、
清少納言は三句目を生かして
「空さむみ花にまがへてちる雪に」という
上の句を返したことになります。
『枕草子』には公任の反応が書かれていません。
しかし清少納言は『白氏文集』からの出題に
『白氏文集』で答えたわけですから、
公任は満足の笑みを浮かべたことでしょう。
参考)「南秦雪」原文
往歳曾爲西邑吏/慣從駱口到南秦/三時雲冷多飛雪/二月山寒少有春
我思舊事猶惆悵/君作初行定苦辛/仍賴愁猿寒不叫/若聞猿叫更愁人
