読み物

ちょっと差がつく
『百人一首講座』

【2001年9月30日配信】[No.038]

【今回の歌】
大江千里(23番) 『古今集』秋上・193

月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど

「哀愁」「旅愁」などに使われる「愁(しゅう)」の文字は、「秋の心」と書きますよね。「もの悲しい」というような意味ですが、平安の昔から秋は思索にふける季節であり、悲哀の時季であることが感覚としてとらえられてきました。
確かに、夏から急激に温度が下がったり長雨が続いたりすると気分がすぐれない人も多いでしょう。平安の歌人がそうだというわけではありませんが、鋭敏な感覚をもつ歌人のこと、秋の哀愁と季節の変化は人一倍感じられるのでしょう。
今回はそういう歌をご紹介します。



現代語訳

月を見ると、あれこれきりもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど。


ことば

【月みれば】
「月を見ると」という意味。「みれば」は確定条件を表します。

 

【ちぢにものこそ悲しけれ】
「ちぢ(千々)に」は「さまざまに」だとか「際限なく」という意味で、下の句の「一つ」と対をなす言葉です。「もの」は「自分をとりまくさまざまな物事」ということです。「悲しけれ」は係助詞「こそ」を結ぶ形容詞の已然形です。

 

【わが身一つの】
「私一人だけの」という意味で、本来なら「一人の」ですが、上の句の「千々に」と照応させるために、「ひとつ」になっています。

 

【秋にはあらねど】
秋ではないけれども、という意味。上の句と下の句で倒置法が使われています。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、「ど」は逆接の接続助詞です。

作者

大江千里(おおえのちさと。生没年不明)

9~10世紀初頭にかけて生きた人だと言われ、大江音人(おとんど)の子で在原業平、行平の甥になります。家集に「句題和歌」があります。中務少丞(なかつかさしょうじょう)や兵部大丞(ひょうぶだいじょう)などを歴任し、伊予国(現在の愛媛県)の権守(ごんのかみ)となったり、罪によって蟄居させられたこともあったそうです。


鑑賞

秋になるとだんだん気温が低くなり、日の当たる時間も短くなってきます。このような季節は、みんなで騒ぐというより一人静かに読書をしたり思索に耽ったりするのに最適。気候がいいので頭も冴えてきますが、その反面、人によっては体調を崩したり、陰鬱になりすぎたりってこともあるようです。
「秋は悲しみの季節」という思いは、上田敏訳のヴェルレーヌの「秋の歌」が有名です。
秋の日の ヴィオロンの ためいきの みにしみて ひたぶるに うらがなし
日本では平安時代に、「秋は悲しい」という感覚が一般化したようで、この歌はその代表的なものといえるでしょう。

秋の名月を見ていると、いろいろな想いが去来して心がさまざまに揺れ、悲しみがあふれてくる。秋が私一人だけに訪れたわけではないのだけれど。

「千々に乱れる」という言葉は現在でも使いますが、たくさんの数を表す「千」と「我が身一つの」の「一」を照応させた和歌です。前回の文屋康秀の「むべ山風を」の歌と同じく是貞親王の歌合の時に歌われたものですので、技法的な面白さを狙ったものでもあります。
さらにこの歌は、白楽天の「燕子楼(えんしろう)」という詩
燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長
(えんしろうちゅうそうげつのよる、あききたってただひとりのためにながし=燕子楼で長年一人暮らしていた、死亡した国司の愛妓が、月の美しい秋寒の夜「残されたわたし一人のため、こうも秋の夜は長いのか)
を踏まえたものとして知られています。
作者の大江千里は、漢詩人としてもとても有名でした。
名高い漢詩の設定を和歌に移し替えて詠むのは、得意中の得意でもあったと思われます。白楽天の詩を名歌に変えて見せた大江千里、文章博士(もんじょうはかせ)らしい、当代きっての知識人たるところを見せたのでした。

大江千里が権守となった伊予の国は、現在の愛媛県。愛媛県といえば、県庁所在地の松山市が観光地として有名です。和歌山城や姫路城と並ぶ連立式の平山城として知られる松山城、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の舞台ともなった日本最古の温泉「道後温泉」などが有名です。また、愛媛松山は正岡子規や高浜虚子、河東碧梧桐などの俳人を輩出した地としても知られており、子規記念館などで明治の大俳人の実像に親しむことができます。
短歌・俳句好きの方、文学好きの方はぜひ一度訪れられてはいかがでしょうか?