ちょっと差がつく
『百人一首講座』
【2001年3月20日配信】[No.019]
- 【今回の歌】
- 蝉丸 (10番) 『後撰集』雑一・1089
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関
3月は別れの季節。卒業のシーズンです。4月からは別々の学校に進学していく学生たちや、新たに社会人になる若者たち。また会社の配置転換も多い季節です。そんな時期ですので、今回は別れをテーマにした歌を取り上げて見ましょう。ただし、少し無常な思いのする歌です。
現代語訳
これがあの、京から出て行く人も帰る人も、知り合いも知らない他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うと言う有名な逢坂の関なのだなあ。
ことば
- 【これやこの】
- 「これがあの噂に聞くあの」というほどの意味です。「や」は詠嘆の間投助詞です。この句は「逢坂の関」にかかります。
- 【行くも帰るも】
- 「行く」「帰る」とも連体形なので、「行く人」「帰る人」の意味です。さらにこの場合は、京都から出て行く人と帰ってくる人を意味しています。
- 【別れては】
- 「ては」は、動作などについての反復(繰り返し)を意味していますので、「別れてはまた逢うを繰り返す」という意味です。
- 【知るも知らぬも】
- これも連体形で、知人も見知らぬ人も、という意味になります。
- 【逢坂の関】
- 逢坂の関は、現在の山城国(現在の京都府)と近江国(滋賀県)の境にあった関所で、この関の東側が東国だとされていました。実は関所は比較的昔になくなったのですが、歌枕としては有名でよく歌に詠まれています。「逢坂」は「逢ふ」の掛詞。
作者
蝉丸(せみまる。9世紀の人らしい)
はっきりしたことは分かっていませんが、今昔物語には宇多天皇の第八皇子・敦実親王の雑色(ぞうしき。雑務をしていた下役人)とされています。また、一説によると盲目の琵琶法師だったという説もあります。なお、能に「蝉丸」という謡曲があります。
鑑賞
この歌は、恋愛や風景描写の多い百人一首の中で、かなり特殊な歌といえます。
知っている人も知らない人も、出て行く人も帰ってくる人も別れてはまた逢い、逢ってはまた別れるという逢坂の関。
「行くも帰るも」「知るも知らぬも」「別れては…逢坂の」と対になる表現を3つも盛り込んだ戯歌(ざれうた)に近い歌なのですが、この逢坂の関はある意味人生のようで、深い趣のある歌だといえるでしょう。
昔の歌人たちは、仏教の「会者定離(えしゃじょうり)」をこの歌に感じました。会えば必ず別れがあり、別れてはまた出会いがある、というような無常感をここに見たのです。
卒業式シーズンを迎える学生や新社会人にとっては、別れはつらいものですが、4月からはすぐに新しい学校やクラス、会社の新しい同僚たちと出会うことになります。新しい出会いは、必ず別れを運んでくるもの。しかしそれも人生なのでしょう。逢坂の関は出会いと別れを象徴する、人生そのものを暗示しているのです。
この歌の舞台となった「逢坂の関」は、伊勢国の鈴鹿や美濃の不破と並ぶ三関のひとつで、大津市逢坂から大谷町をへて京都山科の四ノ宮に続く坂道です。国道沿いに関址の碑があり、その近くに蝉丸神社があります。電車で行く場合は、京阪京津線の大谷駅で降りるか、JR東海道本線の大津駅で下車し、国道1号線沿いに道をたどってみましょう。かつて恋人たちの逢う瀬や、人生の出会いの掛詞として使われた、逢坂の関に出会えるでしょう。