読み物

をぐら歳時記

百人一首対談集

『小倉百人一首』とともに◆その二


伝統が育む、感謝のこころ。

風そよぐ ならの小川の 夕ぐれは みそぎぞ夏の しるしなりける
〔第九十八番 従二位家隆〕

夏の夕暮れ、秋の気配も感じられる中、しめやかに行われる禊の儀式を詠った一首。「夏越の祓」は、罪や穢れを祓い、夏以降の無病息災を願う神事ですが、その神事が現代にも受け継がれているのは、健康に半年を過ごせたことへ感謝する気持ちの表れといえるのではないでしょうか。今回は、従二位家隆が詠んだ「風そよぐ・・・」の歌について、百人一首を専門に研究されている吉海直人先生にお話を伺いました。


山本 弊社では、夏越しにまつわる菓子である水無月「夏の宵」など、夏を涼やかに過ごして頂ける涼菓をご提供しているのですが、平安期には、どのようにして暑さをしのいでいたのでしょうか。

吉海 京都・奈良は盆地ですから、昔も今と変わらず夏は蒸し暑かったと思います。平安時代の代表的な建築様式である寝殿造りは、天井が高くて屋根が大きく、室内は開放的な造りになっていますから、冬の寒さよりも夏の暑さに対応して作られていると考えられます。
現在と違って冷房も冷蔵庫もありませんが、冬の間に氷室に氷を貯蔵していましたから、夏でも氷を楽しむことはできました。『源氏物語』の中にも夏の氷が描かれています。当時の人は、太陽の出ている昼間は暑いので、日が翳って少し涼しい夕方以降に活動したようです。家隆の歌も夕暮れを歌っていますね。百人一首を含めた和歌に夏の歌が少ないのは、暑い中では美意識を発動させにくかったからだと思います。ですから夏の歌といっても、実は初夏だったり、秋の訪れを待ち望む内容のものが多いのです。

山本 心身浄化の儀式といえる「夏越し祓」ですが、家隆が歌に詠んだ当時の「夏越の祓」には、どのような想いが込められていたのでしょうか。

吉海 一年を半分にすると六ヶ月ですね。そう考えると六月の晦日は、十二月の大晦日と同様に半分が終わり、また新しい半分を迎える時期にあたります。しかも暑い夏の盛りですから、食欲不振で体が弱ったり疫病が流行したりする怖い時期でもあります。そういった病にかからず、健康で過ごせるようにとの祈りが「夏越の祓」、あるいは「水無月祓」には込められています。

山本 弊社でも竹生の郷にて、毎年「夏越の祓」の神事を行っておりますが、「祓」と「禊」という言葉には、どのような違いがあるのですか。

吉海 どちらも身を清めたるための所作です。「祓」はいわゆる御祓いで、神社で神主さんに祓詞を唱えてもらって、細く段々に切った紙を串に挟んだ幣で穢れや罪を祓ってもらいます。「禊」は「水そぎ」のことですから、清い水で身をそそぎ、水の神聖な力で身に付いている悪いものを洗い落とします。茅で作った大きな輪、茅の輪をくぐるのも、それに近い効果が信じられているからです。

山本 この歌の「風そよぐ」という表現は、緑の木々とそよぐ風をイメージさせられ、涼を誘いますね。当時の人は「風」に対して、どのような思いがあったのでしょう。

吉海 「風」にも、強弱いろいろあります。百人一首にも、「むべ山風を嵐といふらむ」や「初瀬の山おろし」といった激しい風も詠われています。季節的には、「秋風」が一番多く歌に詠まれているようです。というのも風の涼しさが秋の到来というか、秋が近づいていることを肌で感じさせてくれるからです。
「そよぐ」というのは、そよそよという風の音です。これは聴覚ですが、もちろん肌で直に風を受けて涼しさを感じることもできます。ですから「風の音」も、秋の到来を告げる風物詩みたいなものです。

山本 次に登場する「ならの小川」も特徴的ですね。これは上賀茂神社の御手洗川のことだと記されていることが多いですが、真偽のほどはどうなのでしょう。

吉海 「ならの小川」というのは、本当のところどこなのかわかりません。もともと家隆は実景ではなく、屏風に書かれた「水無月祓」の絵を見て、詠んでいるからです。かつては、「なら」とあることから「奈良」地方にある小川という説もありました。その「なら」を植物の「楢」にすると、それこそ楢の木がある小川ならどこでも可能です。上賀茂神社の御手洗川は、そこに「奈良神社」という古い社があるので、それで「ならの小川」にふさわしいとされたようです。ただし、上賀茂神社に特定されたのは江戸時代に入ってからのようですから、それ以前はどこにあるのかは問題にされていませんでした。むしろ百人一首によって、この歌が有名になってから、名所・歌枕として場所の特定が要請されたようです。語り継がれる「夏越の祓」は、今も昔も伝統文化を重んじる京都の夏ならではの風物詩といえるでしょう。


~取材を終えて~

私どもでは、夏限定で『夏越し歌』という商品をご用意しております。また、本店『竹生の郷』においては、6月下旬に「茅の輪」を設置し、「夏越の祓」の神事を執り行っております。それは、商品にまつわる由来に触れていただくことで、日本の伝統文化や精神を少しでも継承できればとの想いからです。

精神というものは言葉で伝えることが難しいため、心で感じていただきたいと私たちは考えております。そのためにはまず、わたしたち自身が伝統文化を体験・理解した上で、お客様にお伝えするべきではないかという想いから、茅の輪作りは社員自ら川原に行って茅を刈るところから始めています。そして心を込めて直径2メートル程の茅の輪を制作します。

小倉山荘では、物だけではなく、心も一緒にお届けするという想いで、より喜ばれる商品とサービスの創造に努めて参りたいと考えております。

山本雄吉