をぐら歳時記
小倉百人一首をひもとく
『小倉百人一首』の撰者 藤原定家に迫る◆その一
天賦の才能、幼少時から開花
鎌倉時代初期の公家・歌人で、歌壇の指導者としても活躍した藤原定家。気性の激しさによる挫折もありましたが、早くから歌才を発揮し、その上品で趣きのある歌風から詠まれた和歌は、後代に大きな影響を及ぼしてきました。今回は、日本古典文学を専門に研究されている小林一彦先生に、そのような定家の人物像を時系列でご紹介していただきます。
両親の感性を受け継いだ才能豊かな少年
『小倉百人一首』を編んだとされる、藤原定家。父の俊成は、歌壇の重鎮に数えられる歌人、母は美福門院(鳥羽天皇の皇后)に仕えた教養ある加賀という女官で、歌人でもありました。加賀は前夫との間に肖像画の名手とされる藤原隆信を生んでおり、父はもとより母からも芸術的な才能を受け継いでいたことは明らかです。俊成は、それまで女性の読み物とされていた『源氏物語』を、もののあわれを感じ取るための歌人必読の書と称賛したことで有名です。母もまた、『源氏物語』を愛読し、王朝の美意識と教養を、みずみずしい感性とともに、家庭教育の中で愛息・定家へと伝えたのでした。
少年時代から病弱で神経質な性格であった定家は、蹴鞠や乗馬など、当時のスポーツには関心を示さず、内向的な文学青年として成長します。
定家が二十歳の時に試みた『初学百首』(※1)は、後年の豊かな才能がうかがえる記念碑的な作品といえます。
その中でも、定家の繊細な表現が際立つ二首をご紹介いたしましょう。
梅の花 こずゑをなべて ふく風に
空さへ匂ふ 春のあけぼの
- 【歌意】
- 梅の花をおしなべて吹いてくる春風のせいで、大空までが豊かな美しい香りに充ち満ちている。
春の明け方のどこか気だるい風情を巧みにとらえた一首。ロマンチックで艶やかな物語をイメージさせるような歌といえるでしょう。
いっぽう、秋の歌としては、
天の原 思へばかはる 色もなし
秋こそ月の 光なりけれ
- 【歌意】
- 夜空は、特に変わった様子にも見えないのに、そうか秋という季節が月を輝かせるのだな。
澄み輝く清らかな秋の月を、意表を突く視点でとらえた非凡な作品。定家の月を詠んだ歌としては自信作とみえ、後年、単独で編纂した『新勅撰和歌集』(※2)へと選び入れています。
誇りを胸に和歌の第一人者を目指す
平家が壇ノ浦で滅亡した文治元年(一一八五年)、十一月の新嘗祭(※3)。天皇が新穀を神々に供えて食する宮中儀式の夜に、血気盛んな二十四歳の定家は、少将源雅行と言い争いとなり、たまりかねて暴力行為に及んでしまいます。上席とはいえ年下の相手から、体面・名誉などを傷つけられたことが原因でした。
定家の家は、平安時代中期に天皇の代理である摂政まで務めた藤原道長の血筋で、本来なら左大臣・右大臣に次ぐ大納言にまで昇る家柄です。祖父・俊忠が若くして亡くなったために、父・俊成は親類の養子に入り苦労を重ねていました。定家は、没落しながらも、こうした名門のプライドを忘れてはいなかったのです。三か月の謹慎処分の後、宮廷社会へと復帰した定家は、父の背中を見て、和歌の宗匠(指導者)として立つことが、家の再興につながると自覚するようになります。
予兆を感じさせる二つの才能の出会い
当時、定家の詠む歌は、難解で意味がわからない、と保守派の歌人たちから嘲笑されていました。そのころ定家は、天皇のそば近くに仕える職にありました。幼い天皇は鶏が好きで、宮中の坪庭で飼われていた鶏のお世話をするのが定家の仕事でした。実はこの幼帝こそ、長じて定家の才能を見抜き、宮廷歌壇の指導者として引き上げてくれる後鳥羽院その人でした。
天才は天才を知る。豪華絢爛たる新古今の美的世界を築きあげる二つの才能は、この時、お互いにまだ、その運命を知らないままでした。その後、時代は大きく動いていくことになるのです。
▽【夏号では、定家の恋愛(青年期)についてご紹介します。】
- 《用語解説》
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※1初学百首(しょがくひゃくしゅ)
養和元年(1181年)、定家が20歳の時に初めて詠んだ百首の歌。 -
※2 新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)
鎌倉時代に定家が、後堀河天皇の命を受けて完成させた勅撰和歌集の第9番目、20巻・歌数1374首の歌集。 -
※3 新嘗祭(にいなめさい)
宮中にて天皇自らが新穀を神にささげて収穫を祝い、翌年の豊穣を祈念する祭儀。
小倉山荘からのメッセージ
名門の生まれであった定家が、家庭の事情で没落していく中、矜持を胸に和歌の道で家の再興を誓う。この強い心が人間、生きていく上では大切です。人生は良い時ばかりではありません。浮き沈みはつきものです。しかし、定家のように強い気持ちで臨んでいけば道が開けるのではないでしょうか。
もう一つの人生のカギは、出会いです。私たちは、人との関わりの中で暮らしています。出会いが人生を変えることは、よく耳にします。しかし、それも「求めよ、さらば与えられん」と言うように、与えられるのを待つのではなく、自ら積極的に努力することが大切です。
私たち小倉山荘も、プライドを持ってお菓子づくり、商品づくりに向き合うことで、お客様との出会いを大切に、自ら精進を重ねてまいりたいと考えています。
山本雄吉