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をぐら歳時記

伝統に立脚しつつ新境地を開く

定家による和歌の進化をひもとく◆その三


伝統に立脚しつつ新境地を開く

藤原定家は、従来の和歌の表現を次々と新たなものにしていった和歌世界における改革者でした。ここでは、定家が実際に行った革新的な手法にスポットを当てて和歌の進化について紹介していきます。

古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、定家が和歌世界に起こした四つの「新たなる風」の中から、秋号では「情景を想像させることで新鮮さを感じさせる和歌」を題材に語っていただきます。


 藤原定家が後年記した『詠歌大概』という書物は、「情は新しきを以て先となし、詞は旧きを以て用ゆべし」という一文から始まります。内容は誰も思いついたことのないような新鮮さを第一とし、詞は古くから使われている伝統的なものを用いなくてはならないということを述べています。

 この記述からは、定家が和歌の革新者であったとはいえ、伝統を無視したり打ち壊したりするのではなく、あくまでも和歌の本質である雅やかさや優美さを大切にしたことが分かります。定家は、それまでの伝統を自らの拠り所としながらも、そこに新たな境地を打ち出そうとしたのです。

見わたせば
 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の
   秋の夕暮れ

[新古今和歌集 秋歌上 三六三]
 

【歌意】
見わたすと、花も紅葉も何も無い。ただ漁師の苫葺き(※1)の小屋があるだけの、海辺の秋の夕暮れ時よ。

否定することで想像させる和歌

 この歌は文治二年(一一八六)、定家が二十五歳の時に、歌僧・西行(※2)の求めに応じ詠んだ「二見浦百首」のうち、「秋」の題の一首です。春の桜花、秋の紅葉といえば、日本の四季を彩る風物の代表です。人々は桜や紅葉を見て、心を躍らせ、美しさに酔いしれます。しかし定家は、そうした花も紅葉も「なかりけり」と詠むのです。この一首の主人公が見ているのは、海辺にある漁師の粗末な仮小屋だけ。そこには、古来「美しい」とされてきた華やかさや彩りはありませんが、心を動かされる風情があるのです。

 詠まれているのは、確かに寂しく侘しい景色です。けれど上の句に「花も紅葉もなかりけり」と詠まれたことで、読者には、桜花や紅葉の美しさが幻影のように想像されます。寂しい現実の情景と華やかな幻の情景が二重に立ち現れる、それは定家の「なかりけり」という詞の仕掛けなのです。

 「なかりけり」の「けり」は、今はじめてその事実に気付いたことを表します。つまり、目の前の海辺の景色に心が動かされていた、けれど思えば、ここには世間一般に「美しい」とされる桜花も紅葉も何も無い、それでも心は動くのだということを発見しているのです。

 『枕草子』に「秋は夕暮れ」とあるように、秋の最も美しい時間帯は夕暮れだと考えられてきました。『枕草子』が挙げる「秋の夕暮れ」の風物は、巣に帰ってゆく鳥、雁が列をなして飛ぶ様子、風の音、虫の音です。けれど定家は、海辺にある漁師の粗末な仮小屋に心を動かされる主人公の姿によって、従来とは違う「秋の夕暮れ」の美しさを打ち出しました。江戸時代、この歌は茶人たちに、もの静かで趣のある閑寂の境地を詠んだ和歌としてもてはやされています。


伝統的な詞と斬新な内容の両立

 建久元年(一一九〇)、定家が二十九歳の時に「月」の題で詠んだ一首です。「宇治の橋姫」とは、宇治橋に祀られる女神のことを指しますが、来ない男性を待ち続ける女性のイメージで和歌には詠まれます。「さむしろ」には「寒し」と「狭莚(冷えた狭い莚)」が掛けられており、独りで冷えた寝床に横たわり、来ない恋人の代わりに月光だけが寄り添うように女性を照らしている、そんな情景が詠まれています。

さむしろや ※3掛詞(寒し・狭莚)
 待つ夜の秋の 風ふけて
月を片敷く
   宇治の橋姫 ※4歌枕

[新古今和歌集 秋歌上 四二〇]
 

【歌意】
幅の狭い莚は冷えて、恋人を待つ夜の秋の風は深夜になったことを感じさせるように激しく吹きつのり、月光を敷いて独り寝る宇治の橋姫よ。

 この歌に用いられている詞は、どれを取っても特別珍しいものでも新しいものでもありません。けれど、「風ふけて」「月を片敷く」と続くと、ハッとさせる斬新さがあります。「ふけて」は「更けて」、つまり時間が進むことを意味する語です。「夜更けて」という用い方をするのが普通です。けれど風が「ふけて」というのはどういうことでしょうか。

 意味するところは、深夜になったことを感じさせるように風が冷たく激しく吹いている、ということなのでしょう。「月を片敷く」も、「片敷く」とは恋人と共寝をするのではなく、たった独り自分の衣だけを敷いて寝ている様を言う語です。「月を片敷く」は、まるで月光を敷いて寝ているかのように、月が独り寝の床を照らす情景を詠んでいます。論理的には説明しがたい詞続きですが、読者がそれぞれ意味を汲み取り、情景を想像することができます。まさに、「情は新しきを以て先となし、詞は旧きを以て用ゆべし」の主張どおり、伝統的な詞と斬新な内容の両立が果たされているのです。

《用語解説》
※1苫葺きの小屋(とまぶきのこや)
菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろで、屋根をふいた小屋。
※2西行(さいぎょう)
平安末期から鎌倉初期にかけての武士であり、僧侶、歌人。山里の暮らしから生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した。
※3掛詞(かけことば)
同じ音を利用して、二つ以上の意味を持たせた言葉。
※4歌枕(うたまくら)
古くから和歌に詠まれている名所・旧跡で、特定のイメージを持っている地名。