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をぐら歳時記

古典書写・研究に適した「定家様」

定家による和歌の進化をひもとく◆その四


古典書写・研究に適した「定家様」

藤原定家は、従来の和歌の表現を次々と新たなものにしていった和歌世界における改革者でした。ここでは、定家の古典研究者としての顔について、書写に対する姿勢と後世に与えた影響などにスポットを当てて紹介していきます。

古典和歌を専門に研究されている小山順子先生に、定家が和歌世界に起こした四つの「新たなる風」の中から、冬号では「定家様」について、その背景を含めて語っていただきます。


書写は古典文学の研究と表裏一体

 藤原定家といえば、和歌史に大きな足跡を残した大歌人です。しかし定家には、もう一つの顔があります。それは、古典研究者としての側面です。

 現代のように印刷技術が広く行きわたっていなかった時代、書物は人の手によって書き写されるのが主でした。定家は、数多くの本を書き写してます。二〇一九年十月には、定家が書き写した『源氏物語』「若紫」の巻の存在が報告され、世間を騒がせたことも記憶に新しいです。本を書き写すという行為は、単に「写す」だけではありません。本を読んで意味を考え、不審な箇所を検討しながら書き写します。さらには、それまでの間に何人もの人が書き写してきた過程で生じた写し間違いを訂正することもあります。定家が多くの本を書き写したのは、古典文学を研究することと表裏一体でした。

 定家が書き写した本は、『源氏物語』以外にも、『伊勢物語』『土佐日記』『更級日記』など数多くあります。『古今和歌集』は、現在知られているだけで十六度も書き写しています。『古今和歌集』は、和歌の古典の中でも最も重要な歌集です。おそらくは、書写を人に請われた場合もあったでしょう。歌道師範である定家の手で書き写した『古今和歌集』は、当時の人々、さらには後代の人々にとって貴重な宝物であり、また定家のお墨付きの由緒正しい本文を伝えるものとして扱われたのです。


正しい本文を伝える画期的な書風

 さて、定家の字はというと、平安時代の草書を見慣れた目から見ると、お世辞にも「流麗」や「たおやか」とは言いがたいものです。線の細太の差が大きく、横線は平行であるのが特徴で、さらに草書の連綿体(各文字の間を切らずに連ねて書くこと)は、ほとんど見られず、一字一字が独立しています。定家自身も、自分が悪筆であると繰り返し述べており、和様の美意識や鑑賞眼から見ると、決して美しい書風でないと自覚していたようです。

 しかしこうした定家の字は、「正しい本文を伝える」という視点から見る時、とても有効なのです。流れるように書かれた連綿体の草書は、見た目には美しいのですが、どこが文字の切れ目かがはっきりせず、言葉の解釈にもゆらぎが生じます。しかし、一文字一文字が独立している定家の字は、文字の切れ目、すなわち一語一語が読み取りやすく、読み誤りの可能性を低くすることができるのです。その意味で定家の文字および書風は、画期的なものであったのです。


後世にまで継承された書風

 定家の子孫たちは、歌道家として和歌の世界で重きを占め続けます。後世、定家は和歌の神様のように崇敬されるのですが、定家の子孫たちは、定家の血脈を継ぐことを書風の継承で強く打ち出しました。特に有名なのが、冷泉家第十四代当主の為久です。為久は、あまりに定家と似た文字を書くため、定家の真筆と見分けがつかないと、霊元天皇(第112代天皇)から定家の筆法を真似ることを禁じられたといいます。また、為久の子・為村が定家筆の歌集を模写したものを残していますが、まるでコピーのようにその筆跡まで忠実に写しています。万一の事態に備えての副本作成というだけではなく、定家の筆法を習得しようとしたのです。定家の子孫だけではなく、茶人や文化人で、定家の字を真似る人は存在し続けました。それは、書流を継承することで、定家への尊崇の念を表現し、定家の精神を受け継ぐ者であるという自己表現でした。

 定家の書風は、江戸時代になると、線の細太を極端なまでに強調したものへと発展します。こうしたデフォルメを加えたものも含め、定家流の書風を「定家様」と呼んでいます。現代でも、定家様でデザインされたAdobe『かづらき』というフォントが販売されています。古典書写・研究に実用的な文字がデザイン面からも面白い魅力のある書風として継承されているのです。