読み物

洗心言

2007年 盛夏の号


伝統文様

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伝統文様【青海波】
その名が示す通り、青い海原の波を表わした文様。同名の謡曲があり、『源氏物語』に光源氏が「青海波(せいがいは)」を舞う場面が描かれています。

こころを彩る千年のことば

太陽が燦々と照りつける夏の盛り、河原や野原にひっそりと咲く花があります。小さく可憐な花は、いにしえより多くの歌や物語に詠まれ、さらに女性の清楚な美しさにたとえられてきました。
珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介する「こころを彩る 千年のことば」。今回は、「撫子(なでしこ)」という言葉にこめられた先人の思いを訪ねます。

「小さな命への慈しみの心を表わす撫子。
万葉人が愛する人への想いを重ねた花」

「なでしこが 花見るごとに 娘子らが 笑まひのにほひ 思ほゆるかも」
これは奈良時代の官人であり、歌人でもあった大伴家持(おおとものやかもち)の一首。大意は、「撫子の花を見るたびに、少女の笑顔の美しさを思い出す」。家持が越中で国守を務めているときに、奈良の都に残した妻を思って詠んだ歌と伝わります。

家持はまた、「なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ(あなたが撫子の花だったなら、毎朝、手に取って愛でることができるのに)」という同じく妻に贈った恋歌や、「なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標めし野の花にあらめやも(撫子は散ったと人は言うけれど、それは私が自分のものと目印をつけた花のことではないでしょうね)」という歌を残しています。

「清少納言にたたえられた
可憐な美しさ」

万葉人にこれほどまでに愛された撫子は、古くから日本各地に咲く花。ひとくちに撫子といってもその種類はさまざまで、代表的なのが河原などに自生する河原撫子。花の色は白やピンク、薄紫などさまざまで、花の先が細く切れこんでいるのが特徴です。

撫子は萩やススキなどと秋の七草に数えられていますが、現代の感覚でいうと夏の花。もっとも平安時代にも夏の花と考えられ、「常夏」という別名があるほどです。その平安時代には七夕の遊びとして、花の美しさを競う撫子合わせが人気を博しました。平安時代にはまた、唐から石竹(せきちく)という外来種も渡来。清少納言は『枕草子』で「草の花はなでしこ。唐のはさらなり。やまとのもいとめでたし」と、中国、日本、両方の撫子の美しさをたたえています。

「清楚に咲く花に想う限り
なき愛おしさ」

撫子の語源は、撫でてやりたいほど可愛い子。川べりの道にひっそりと咲くその花には、とりたてて人の目を惹く華やかさはありません。急ぎ足でいると、見過ごしてしまうほど素朴で華奢なものです。しかし、真夏の太陽に灼かれながらも清楚に咲くその姿は、健気な強さを感じさせます。先人はそのような撫子の佇まいに、限りない愛おしさを感じたのでしょう。そしてそのような想いが、撫子という趣ある名に結実したのでしょう。

ときには足をとめて、眼差しを下げて、ひまわりの脇に咲く小さな命を思いやる。そんな心を、いつまでも大切にしたいものです。


平安京 今昔めぐり

「平安京今昔めぐり 
下鴨神社」

盆地のために冬は底冷えし、夏はとても蒸し暑い京都。
その熱気を冷ますように、ひっそりと佇む緑の杜。
古代からの時の記憶を受け継ぐ森は、まちのオアシスとして人々に愛されています。
千二百年の歴史遺産をめぐる「平安京今昔めぐり」。
今回は京都最古の神社のひとつである「下鴨神社」をご紹介します。

「土用の丑の日、涼を求める
人々で賑わう古社」

京都御苑の北東、賀茂川と高野川が合流するあたりに、昼なお薄暗く、どこか神秘的な雰囲気をたたえた森が広がります。「糺(ただす)ノ森」と呼ばれるこの原生林の面積は、約三万六千坪。東京ドームが三つも入る地に、ケヤキやエノキ、ムクなどの老大木がうっそうと生い茂り、遥か古代からの植生を今に伝えています。

「糺」の名の由来については、かつてここが神々の「糺(ただ)し(審判)」の場であった、あるいは「直澄(ただす)(清水のこと)」の湧く場所として信仰を集めたなど、諸説があります。

蝉時雨と小川のせせらぎに耳を澄ませながら、森のなかの参道を北へしばらく歩くと、朱塗りの鳥居と堂々とした桜門が待ち構え、さらにその先には国宝二棟を含む社殿が並びます。上賀茂神社とともに、京都で最も古い神社といわれる下鴨神社です。正式名称は、賀茂御祖(かもみおや)神社といいます。

神社の起源は紀元前にまでさかのぼり、紀元前九十年ごろに神社の端垣の修造が行われたという記録が残されています。六世紀の欽名(きんめい)天皇の時代には賀茂祭(葵祭)がはじめられ、祭といえば賀茂祭をさしたほど、神社は隆盛を極めました。そして平安京造営の際にはここで造営祈願が執り行われ、以後は王城鎮護の神社として手厚く敬われました。

この下鴨神社で、土用の丑の日からの数日間、「御手洗(みたらし)祭」という神事が行われます。境内を流れる御手洗川に素足で入り、社にロウソクを奉納して無病息災を祈るというもので、これは平安時代に貴族たちが穢(けが)れをはらうために行った「禊祓(みそぎばら)い」に由来する伝統行事。毎年多くの人が訪れ、清らかな水に手足をひたし、熱心に祈りを捧げる姿を見ることができます。

今年の祭は、七月二七日から三十日までの四日間行われる予定。夏に京都にお越しの際には、「糺ノ森」と「御手洗祭」で、ひとときの涼を楽しんでみてはいかがですか。

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百人一首 折々の歌

歌を通して季節をたどる「百人一首 折々の歌」。
今回は七夕の趣を詠んだ中納言家持の名歌をご紹介します。

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かささぎの 
渡せる橋に 
置く霜の
白きを見れば 
夜ぞふけにける

中納言家持
かささぎが翼を広げて架け渡した天上の橋。 その橋にたとえられる宮中の階段に霜が降り、 白々と光っているのを見ると、夜もかなり更けてしまったことだ。

凛とした、冬の趣を詠んだ中納言家持(ちゅうなごんやかもち)の第六番。それを盛夏のいまご紹介する理由は、七夕伝説をふまえたところにあります。とはいえ、もうひとつピンとこないという方も多くいらっしゃることでしょう。特にかささぎという名に。

七夕伝説はもともと中国のもので、そこにはかささぎの群れが翼を並べた橋を渡り、牽牛(けんぎゅう)が織女(しょくじょ)に逢いにいく様子が描かれています。かささぎは主に中国や朝鮮半島に生息する鳥で、日本では九州の一部で見ることができます。カラスの様に黒い羽毛に覆われ、おなかだけが純白です。

ところで、かささぎが日本にもたらされるのは中世以降のことで、当時はまだその姿が正確に知られていませんでした。この歌の内容からして、家持はどうやらかささぎを真っ白い鳥と思っていたふしが伺えます。

ともあれ、天の川は盛夏の風物詩のひとつ。漆黒の夜空に浮かぶ美しさは、皆さまもよくご存知のことでしょう。

奈良時代を生きた中納言家持は、「こころを彩る 千年のことば」でもご紹介した大伴家持のことで、中納言は最終的な官位。十四歳のときに父親を亡くし、古代豪族の名門、大伴氏の跡取りとして若くして朝廷に出仕するものの新興勢力の藤原氏の圧迫を受け、地方へ左遷させられるなど、官人としては不遇な生涯を送りました。

しかし赴任先の越中で歌づくりにいっそう励み、新たな作風を拓くなど、左遷は家持に歌人としてさらなる飛躍をもたらす大きな契機となりました。その結果、『万葉集』にもっとも多く歌が採られ、万葉時代を代表する歌人となるのですから人生はわからないものですね。


小倉山荘 店主より

言葉の力

世の中には、「運のいい人、そうでない人」がいます。運のいい人は、いつも感謝の気持ちを忘れず、前向きで積極的な言葉づかいをしています。

日本には古くから、全国各地に「言霊信仰」がありました。言葉には魂が宿り、善い言葉を使えば幸福になり、悪い言葉を使えば不幸が訪れるというのです。

「幸せ」とは、幸せに気づく能力だと思います。「幸せだな」と言えば、脳は幸せの理由を探しはじめます。

「未来」は自分の意志と言霊によって、どのようにでも変えられるといいます。人間を支配する運命はどこまでも自分が創るものと捉え、正しい考え方をし、善い言葉をつかい、すばらしい自分史を書き上げたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉