読み物

洗心言

2007年 初秋の号


伝統文様

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伝統文様【雲】
古来中国では、千万変化する雲の動きや色、すなわち「雲気」で吉兆が占われました。日本では雲は文様として好まれ、さまざまな形が生まれました。

こころを彩る千年のことば

空気が澄み、物音が美しく響く時節を迎えました。秋の音と言えば、夜長をリンリンと鳴き通す虫の声が思い浮かびますが、風にそよそよと揺れる草木の葉ずれの音も、なかなか趣きが感じられるものです。
珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介する「こころを彩る 千年のことば」。今回は、「荻」という言葉にこめられた先人の思いを訪ねます。

「自然への神聖なこころが
こめられた荻。」

しなやかな葉ずれの音が知らせる秋の訪れ
荻(おぎ)は主に河原などの湿地に群生する、イネ科の多年草。茎の先に馬の尾のような花穂を垂らすことから、同じく河原に生える薄(すすき)とよく間違われる植物ですが、薄が一つの根株から数本の幹を生やすのに対して、荻は一本、一本、独立して育つのが特徴です。また、荻の花穂には薄のそれのようにトゲ状の禾がなく、緑艶やかな葉の幅も薄より広く、それは風になびくとそよそよとした葉ずれの音を奏でます。

荻の葉の そよぐ音こそ 秋風の 人に知らるる 始めなりけれ
これは平安時代の名歌人、紀貫之(きのつらゆき)の一首。この歌が物語るように、いにしえの人は風が野原を分け入り、荻の葉をしなやかに揺らす音に秋の訪れを感じたといいます。そして先人は、荻に神聖な思いを抱き続けてきました。

「霊魂を呼び覚まし、
神の声を告げる群れ」

荻の語源は「招(を)ぐ」。これは神を招きおろすという意味をもつ言葉です。なるほど、静かな風にもゆらゆらと、銀白色の花穂を揺らす荻の群れにはなんとも知れない幽玄さが漂います。先人はそんな荻の姿に、人知を超えた神秘、あたかも霊魂を呼び覚ましているような畏怖を感じたのでしょう。

また、崇徳院(すとくいん)の「いつしかと荻の葉むけの片よりにそそや秋とぞ風も聞こゆる」のように、荻を詠んだ歌には、その葉ずれの音を「そそや」と擬声語で表わしたものがたくさんあります。一説に、「そそや」は神の告げを示す言葉といい、もしかすると先人は、荻がそよそよとそよぐ音に神の声を聞いていたのかもしれません。

「荻に託された思いを、
後世へと伝えていく」

荻にはまた、さまざまな雅名があります。風聞草(かぜききぐさ)は風にたなびき優しい葉ずれの音を奏でることから、寝覚草(ねざめぐさ)や目覚草(めざましぐさ)は葉ずれの音に眠りが覚めることからその名がつけられました。「荻の声」は秋を表わす季語として、多くの俳句に詠み継がれています。そして荻は、薄や葦(よし)とともに茅葺き屋根の材料として古来より珍重され、自然回帰やエコロジー意識の高まりのなかで最近、茅葺き屋根の良さが再び見直されているとききます。 その名に日本人の自然観を如実に表わし、日本の暮らしに寄り添ってきた荻。つぎの千年に向けて、その生育環境を大切に守っていかなければなりません。


平安京 今昔めぐり

「平安京今昔めぐり 船岡山」

京都市の北、大徳寺にほど近い地に小高い緑の山が横たわります。
船に似た姿から、古くより船岡山と呼ばれた小山は平安京が築かれる際にたいへん大きな役割を果たしたといわれています。
千二百年の歴史遺産をめぐる「平安京今昔めぐり」。
今回は、かつての聖地「船岡山」をご紹介します。

「玄武神が宿る、
平安京の北の起点」

船岡山(ふなおかやま)の高さは約百十二メートル、東西の長さは二百メートルほど。山というより、その名のとおり「岡」というほうがふさわしい小さな山です。平安時代のはじめ、このあたりは皇族や貴族の清遊の地で、清少納言も『枕草子』で「丘は船岡」と讃えています。ところが平安時代のなかば頃から一帯は葬送の地に様変わりし、吉田兼好は『徒然草』に、あたりで毎日のように野辺送りが行われていた様子を記しています。

さて、平安京は一説に、中国の「四神相応(しじんそうおう)」という地相学を手本にして造られたといわれています。これは、東に青龍(せいりゅう)(流水)、西に白虎(びゃっこ)(大通り)、南に朱雀(すざく)(平野や湖沼)、北に玄武(げんぶ)(丘陵)というように、四方に守護神が陣取る地勢を最高と考える思想で、東に鴨川、西に山陰街道、南に巨椋(おぐら)池、そして北に船岡山を擁する京都はまさに理想の地でした。平安京造営の暁には、船岡山の南に大極殿(だいごくでん )が置かれ、船岡山を起点として大通りの朱雀大路が敷かれたといわれています。

玄武神が宿ると考えられたためか、船岡山は聖地としてあがめられ、平安時代初期にはさまざまな祭祀が行われました。山頂に残された巨大な岩の「磐座(いわくら)」は、祭祀の遺跡とする説もあります。現在の船岡山は憩いの場として人々に親しまれ、市内を一望できる頂きは、市内有数の展望スポットとして人気です。山中にはまた、織田信長を祀った建勲(たけいさお)神社が静かに佇みます。

ところで、船岡山の南東に広がる西陣は世界有数の織物の街。昔ながらの町家が軒を連ねる通りを耳を澄まして歩けば、シャカシャカと機織りの優しい音が聞こえてきます。ちなみに西陣の名は、室町時代の応仁の乱の際、西軍の山名宗全(やまなそうぜん)が船岡山を陣地としたことの名残りだとか。

山の頂きで平安のロマンに思いを馳せた後は、路地をぶらりとめぐり歩くのも、素敵な京の休日の過ごし方といえるでしょう。

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祭祀の遺跡と伝えられる、山頂の「磐座」


百人一首 折々の歌

歌を通して季節をたどる「百人一首 折々の歌」。
今回は月夜の趣きを詠んだ大江千里の名歌をご紹介します。

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月見れば 
ちぢに物こそ 
かなしけれ
わが身一つの 
秋にはあらねど

大江千里
月を眺めていると、さまざまに心が乱れて物悲しさに 包まれます。わたし一人だけを悲しくさせるためにやってきた秋ではないのだが。

夏の主役がぎらつく太陽だとすると、秋の主役は煌々(こうこう)と輝く月。暑さが過ぎ去り、爽やかな風に洗われて次第に空が澄み渡り、しかも夜が長くなる秋は、月がもっとも存在感を増す季節です。

しかし、その名のとおり太陽がこの世のすべてをあまねく照らす「陽」なら、闇夜にいながら自分で光ることのできない月は「陰」。そのためか、夏が心弾むような躍動感にあふれるのにくらべ、秋はどこか物さびしい雰囲気が色濃く漂うものです。

第二十三番に撰された大江千里(おおえのちさと)の歌は、そんな季節の情趣をしみじみと、心に染みわたらせる一首。秋を物悲しく思うのは、千年のいにしえを生きた平安人も今を生きる現代人もなんら変わりがないことを、平明な言葉づかいで気づかせてくれます。そしてたとえ物憂くとも、月夜のこよなく美しい秋が自らを振り返り、静かに物思いにふけるのにまたとない季節であることを、私たちにあらためて教えてくれます。

作者の大江千里は、九世紀の終わり頃から十世紀にかけて生きたといわれ、第十六、十七番の作者である在原行平(ありわらのゆきひら)、業平(なりひら)の甥にあたる人物です。歌人としてはもちろん、漢学者として優れた才を発揮し、自歌集である『句題和歌(くだいわか)』は漢詩を題材とした歌を集めたものです。今回ご紹介した歌も、唐の詩人、白楽天(はくらくてん)の詩をふまえて詠まれたといわれています。

歌と学問に秀でた千里ですが、官人としては恵まれていませんでした。ある事件にかかわり連帯責任を問われ、長い間謹慎させられたこともあったそうです。千里のそんな不遇を知ると、この歌には自らが経験した辛さが込められているようで、物悲しさがいっそう募ります。


小倉山荘 店主より

誰かのおかげで、誰かのために

食への安心・安全や企業倫理が問われる事件が後を絶ちません。ある企業のお詫び会見で飛び出したのは、「社内も私も増長していました」という言葉でした。長年にわたり、順風に帆をあげていたことで恐るべき慢心が宿り、そこに落とし穴があったのではないでしょうか。

人間には、悲しいことですが、「慢心」「増長心」というものがあります。心がおごり、つけあがることです。そうなると、「この人のおかげ」「あの人のおかげ」「皆さんのおかげ」という感謝を忘れて、すべて自分がやったのだという思い上がりの心が芽生えます。傲慢で態度も口も荒く、他者をののしり、さげすみ、せせら笑うようになったらおしまいです。

人間は、尊大に生きてはいけないと思います。物事が上手に運んだときほど、「周囲の人がいて、はじめて自分が存在し、人のためになる」というように、謙虚に生きてゆきたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉