読み物

洗心言

2010年 仲春の号


有職のかたち

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有職のかたち【桜】
一説にサは「田の神」を、クラは「座」を表わし、サクラで田の神が座ること。その開花は田の神が里まで降りて来たことを意味し、農作をはじめる目安となりました。

森羅万象 和のこころ

豊かな自然とはっきりとした四季に恵まれた日本。この国に生まれ、生きることで、日本人は古来より独特の自然観を培い、その感性は「環境の時代」といわれる今、未来を豊かに生きるための知恵として世界的に注目されています。
新連載の「森羅万象 和のこころ」では、自然に向けられた先人の眼差しを、四季折々の季節にあわせてご紹介してまいります。

「雪月花」

『雪国』や『伊豆の踊子』などの作品で高名な作家、川端康成(かわばたやすなり)がノーベル文学賞を受賞したとき、「美しい日本の私」と題した記念講演を行ないました。そのなかで川端康成は、日本人の特質や美意識を、「雪月花(せつげっか)」という言葉を用いて世界の人々に紹介しました。

はるかいにしえより、日本人は雪、月、花に特別な思いを持ちつづけてきました。それは和歌や絵画、能といった芸術作品の題材、あるいは作庭のモチーフとして愛されてきたことからも、充分にうかがい知ることができます。

ではなぜ、日本人はそんなにも「雪月花」に心を寄せてきたのでしょうか。その理由のひとつとして、農耕民族をルーツとすることが挙げられます。

夜の闇を照らす月。それは太陽とちがい、周期的に満ち欠けを繰り返します。その神秘的な営みから、先人は季節の移り変わりを知り、暦をつくることで、生命の糧を育む農作を可能にしました。
白く清らかな雪は、大地を冷たく閉ざす死の使いでもあります。しかし、そんな雪も時とともに溶け、川の水となり、農作物を育む源となります。そして、残り雪を割るように芽吹き、美しく咲く花に先人は待ちわびた春の訪れを知り、ふたたび農作をはじめたのです。

獲物を求めて転々とし、開拓を繰り返してきた西洋の狩猟民族とちがい、ひとつの土地で持続的な農作に取り組んできた先人にとって、輪廻のように巡りめぐる雪、月、花の営みは、まさになくてはならないものでした。ゆえに先人は「雪月花」を通して、自然に生かされていることを知り、その恵みに感謝を重ねてきました。そして雪、月、花が織りなす美しさやはかなさに感銘を受けながら、繊細でいて豊かな美意識を培ってきたのです。
しかし西洋的な価値観が流入し、人間が自然を支配しはじめた結果、日本でも深刻な環境破壊が起こりました。その動きと歩調を合わせるように、古きよき日本人の感性が、少しずつ色褪せはじめています。
花の咲く頃となりました。この春も、花と巡りあえる幸福を喜びたいと思います。そして、先人が大切にした「雪月花」への畏敬を、あらためて心に刻みたいと思います。


千二百年の言い伝え

平安時代からの伝統が、今も人々の暮らしのなかに息づく古都・京都。
新連載の「千二百年の言い伝え」では、悠久の時を超えて現代に受け継がれてきた、京都ならではのことわざをご紹介してまいります。

「京では右と左が逆になる」

京都市の地図をご覧になってみてください。ちょうど中ほどに中京(なかぎょう)区があり、その上は京都御苑のある上京(かみぎょう)区、下は京都駅などがある下京(しもぎょう)区です。ここまでは何の不思議もありません。しかし、目線を右に向けるとなぜかそこには左京(さきょう)区があり、左に向けると右京(うきょう)区があるのに気づかれるはずです。なんとも不思議な話しです。

なぜ向かって右が左京で、同じく左が右京というように、「京では右と左が逆になる」のでしょうか。

これは、平安時代のしきたりの名残です。平安京では、天皇は最も北側に位置し、政治を行なうときは南を向くことが求められました。住まいの内裏(だいり)も、平安京の最も北側に設けられていました。これは一説に、北の空に浮かぶ北極星を最高神の「天皇大帝(てんおうだいてい)」と崇めた、古代中国の思想によるものとされています。天皇が南を向くと、当然西は右、東は左となります。そこで内裏から南に向かって西を右京、同じく東を左京と呼ぶようになり、その呼び方が二十一世紀の今日にも受け継がれているのです。なので地図をそのまま見ると右左が逆になりますが、反対から見ると、つまり南を上にして見ると右に右京区、左に左京区となります。

さて、「京では右と左が逆になる」の代表的なものがもうひとつ、それは雛人形の並べ方。一般的にお内裏さまを右(向かって左)、お雛さまを左(向かって右)に飾りますが、京都ではその反対、お内裏さまを左に飾ります。これは平安時代の宮中で、左を上位としたしきたりの名残。実は明治までは全国的に、お内裏さまを左に飾っていました。ところが、大正天皇が即位のときに右に立たれたことにならい、お内裏さまを右に飾るようになったのだそうです。

右と左が逆になるのは平安時代からの伝統を大切にする、京都人の心意気のあらわれなのかもしれません。

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百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、中納言朝忠の名歌をご紹介します。

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逢ふことの 
絶えてしなくは 
なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし

中納言朝忠
逢って契りをかわすことがまったくないのならば、かえって相手の冷たさや、我が身のやるせなさを恨んだりはしないだろうに。

世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(この世に桜の花がなかったならば、春の人の心はゆったりするであろう)。

桜への並々ならぬ愛情を逆説的に表わした、在原業平(ありわらのなりひら)の名歌をどこか思い出させる、中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)の第四十四番。「もしも男女が恋の喜びを知ることがなければ」という仮定によって、恋の苦しみを逆説的に詠みあげた一首です。また、「恋」という言葉を直接用いることなく、恋心の機微を巧みに描いたことでも高く評価されています。

苦しむぐらいなら、かえって恋などしないほうがよい。なるほど、そうかもしれません。しかし、恋をしない人生ほど味気ないものはありません。いくら辛くとも、人は人を恋せずにはいられないもの。そんなことわりを、現代人にも感じさせてくれる不朽の名歌といえるでしょう。

中納言朝忠は平安時代の中ごろを生きた人物。三十六歌仙のひとりに数えられ、第三十八番の作者である右近をはじめ、多くの女性と恋歌を交わしていました。雅楽の要となる楽器、笙(しょう)の名手であったことでも知られています。

といっても朝忠は容姿端麗な青年貴族ではなく、たいへんな肥満体でした。そのため、医者に冬は湯漬け、夏は水漬けを食べて減量するよう命じられます。ところが、そうしてもなかなか体重が減りませんでした。不思議に思った医者が調べたところ、朝忠は何杯もの山盛りの飯を早食いしていたことがわかりました。恋よりも食い気、朝忠にはそちらのほうが大事だったのかもしれませんね。


小倉山荘 店主より

自然には、自然のやり方

地球上の多くの草木がそうであるように、植物であるイネは野生化する力を秘めています。人間が土を耕さずとも自らの力で田んぼに根を張り、土を肥やし、もちろん農薬などに頼ることなく、たくましく育つ本能を備えているのです。

そうして育つイネは良質の藻を発生させ、藻は水をきれいにするとともに、大量の酸素を水中にいきわたらせます。するとタニシやドジョウなどが棲むようになり、田んぼの中にひとつの生態系がかたちづくられます。それらの生き物が水の汚れのもとを食べることで、水質はさらによくなります。このように、自らがつくりだした清浄な環境の中で健やかに育ち、やがて米をたわわに実らせるのが、本来のイネの姿なのです。

自然には、自然のやり方があります。それを尊重し、自然本来の力を引き出すことが地球環境の保全につながり、ひいては人間の暮らしをより豊かにします。

私どもは、主原料である米づくりにイネ本来の力を引き出す自然農法を採り入れ、微力ながらも環境保全への取り組みをはじめました。

報恩感謝 主人 山本雄吉