読み物

洗心言

2011年 初夏の号


四季彩の紋

image

四季彩の紋【葵】
上賀茂神社、下鴨神社の神紋である葵。両神社の例祭「葵祭(賀茂祭)」は、装束や牛車などが双葉葵で飾られます。

春夏秋冬 楽然・楽趣

日本が世界に誇る伝統文化には、日本独特の自然観が息づいています。それは、ありのままの自然が織りなす趣きを楽しもうとした、この国ならではの美意識。
自然を畏れ敬うことで、素晴らしい文化を生み出した先人のこころをご紹介する「春夏秋冬 楽然・楽趣」。今回はかさねの色目についてのお話しです。

「季節の移ろいを映す色遊び」

色とりどりの花が散り、新しく芽吹き始めた緑に急かされるように、季節が変わろうとしています。四季の変化がはっきりしている日本では古くから、その移ろいにあわせて装いを変える習慣が受け継がれてきました。皆さまもよくご存知の衣替えです。

近年、「クールビズ」や「ウォームビズ」とも呼ばれるこの慣わしの由来は、平安時代の宮中行事であった「更衣」にまで遡ります。「更衣」では、旧暦の四月一日(新暦の五月から六月にかけて)と十月一日(同じく一一月ごろ)に衣服の素材や仕立てを取り替えることが定められていたといいます。

ところで、あらゆることに「もののあわれ」を追い求めた平安人のこと。彼らは更衣だけにとどまらず、春夏秋冬それぞれに味わっていた楽しみがありました。

それは色をまとう楽しみです。咲く花をはじめとした、四季折々の自然の営み。平安人は、その趣きを衣服の色合いで表わそうとしたのです。たとえば春は紅梅、白梅、桜、紅躑躅(つつじ)、白躑躅、山吹。夏は卯の花、葵、花菖蒲、橘、杜若(かきつばた)といったように、色の微妙な移ろいを衣服に表わし、それをまとうことで自然と同化する喜びを味わっていたのです。
このような遊びを、「かさねの色目」といいました。着物の表地と裏地それぞれに異なる配色を施し、裏地の透け具合によっていくつもの色目を創り出したのです。今日のように合成着色料などない時代。主な染料は草木の汁であり、それでは再現できる色数が限られていました。そこで平安人は知恵をしぼり、かさねの色目を考えついたのでしょう。それは中国式の原色に替わって 日本独自の繊細で優美な色合いを生み出すきっかけになったともされています。ちなみにかさねの色目は、着物を重ね着したときに袖などに現われる、複数の色目を表す場合もあります。

着物を着なくなった現代の暮らしでは、かさねの色目を楽しむのは難しいことかもしれません。しかし、色そのものを楽しむことはじゅうぶんに可能ですし、それは衣服だけでなく、家のなかの装飾についても同じです。
今年の夏は衣替えといっしょに、色替えを楽しんでみてはいかがでしょうか。暑い季節をいつもよりも涼やかに、心地よく過ごせるかもしれません。


古都ごりやく散歩

今年もそろそろ、京都の夏の風物詩、祇園祭が近づいてきました。
その祇園祭を祭礼として受け継ぎ、いつも多くの観光客や参拝客でにぎわう八坂神社の一角に、知る人ぞ知るご利益スポットがたたずみます。

「美しさへの願いに
応える美御前社」

堂々とした八坂神社の本殿裏手(東側)に位置する美御前社(うつくしごぜんしゃ)。参拝客には女性の姿が多く見られますが、それもそのはず、ここは美貌の神が祀られた美人祈願や美徳成就で知られるところ。

祇園をはじめとする花街が近くにあるため、むかしから多くの芸妓や舞妓が参拝に訪れ、美容や理容、化粧品などの仕事にたずさわる人もよくお参りに来るのだそうです。社殿の前には「美容水」なる神水が湧き出ており、肌の健康のために二、三滴をつけるとよいのだとか。

神社に祭神として祀られているのは市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐理比売命(たぎりひめのみこと)、多岐津比売命(たぎつひめのみこと)の三女神。『古事記』をひもとくと、三人は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)とのあいだで行なわれた、誓約(うけい)という古代の占いによって生まれたとあります。いずれも美人の誉れ高かった三女神のなかでも、ひときわ美しかったのが、水の神としても知られる市杵島比売命。その美貌ゆえ、かつては七福神のなかの唯一の女性神であり、美人の代名詞でもある弁財天と同じ神として崇められたそうです。ちなみに市杵島比売命は厳島神社の祭神でもあり、「イツクシマ」の社名は「イチキシマ」から付けられたものとされています。

ところで、美御前社がいつできたのかははっきりわかっていません。文明(ぶんめい)十八年(一四八六)に発行された『兼邦(かねくに)百首歌抄』という書物に社の名前が記載されていることから、室町時代にはすでに存在していたことが伺えます。

八坂神社の境内には、美御前社のほかにも多数の摂末社があります。祭神である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の荒魂(あらたま)を祀る悪王子社(あくおうじしゃ)、商売繁盛の神として名高い「えべっさん」を祀る北向蛭子社(きたむきえびすしゃ)、包丁などの供養が行なわれる刃物社(はものしゃ)などが点在。祇園祭で京都を訪れた際、いろいろなご利益を求めて、八坂神社でゆっくり過ごすのもおもしろいかもしれません。

image

境内の「美容水」。
八坂神社にはこの他にも
「祇園神水」と呼ばれる名水が湧き、
それを飲んで美御前社に
参ると良いという。


百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、参議等の名歌をご紹介します

image

浅茅生の 
小野の篠原 
忍ぶれど
あまりてなどか 人の恋しき

参議等
浅茅の生えた野辺の篠原、その「しの」ではないが、忍びこらえてもこらえきれず、どうしてこんなにあなたが恋しいのだろうか。

こらえようと思っても、こらえきれない恋心が切々と歌われた第三十九番。この歌は、『古今集』に採られた詠み人知らずのつぎの一首を本歌取りしたものといわれています。

浅茅生の小野の篠原忍ぶとも人知るらめやいふ人なしに
「忍び切れない私の恋心を、あの人は知っているだろうか。知らないだろう。知らせてくれる人がいないのだから」。

ふたつの歌に共通する「浅茅生(あさじふ)の小野の篠原」は「忍ぶ恋」を導くための序詞で、古くより多くの歌人に好まれた表現でした。浅茅は茅(ちがや)と呼ばれるイネに似た草で、五月から六月ごろにかけて真綿のような穂を出します。その茅が篠(細い笹)のようにゆらゆら揺れる様子に、先人は得も言われぬ寂しさを感じていたのでしょう。そしてその姿に、忍ぶ恋の辛さに人知れず悩み苦しみ、所在なさげに揺れ動いている自分の心を、そっと重ねていたのかもしれません。

参議等(さんぎひとし)は、平安時代の中ごろを生きた人物。嵯峨天皇の子孫である嵯峨源氏の生まれで、もともとの名は源等(みなもとのひとし)といい、参議は役職を表わしています。

ちなみに、嵯峨源氏は「等」のように一文字の名を特徴とし、等の父親も源希(みなもとのまれ)といいました。第十四番の作者(名義は河原左大臣(かわらのさだいじん))であり、光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる)は、嵯峨源氏のなかでもっとも影響力のあった人物として知られています。

名門に生まれ、有能な公家として名を馳せた参議等ですが、歌人としては無名に近く、残されている歌もこの歌を含めてたった三首しかありません。そのうちの一首が、千年以上も語り継がれていることを本人が知ったら、さぞかし驚くことでしょう。


小倉山荘 店主より

壁がなく、あらゆる困難に打ち克つもの

三月十一日に発生いたしました、東北地方太平洋沖地震におきまして被災された皆様、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。

人知を超えた未曾有の大災害を目の当たりにして、言葉を失い、無力感に打ちひしがれました。そのなかで、一人でも多くの方の命を救うために、見ず知らずの人々が一生懸命になっている姿に救いを感じました。また、極限状況にありながらも、被災された方どうし互いに支えあい、譲りあい、助けあう姿に人間としての気高さを感じずにいられませんでした。

人が人を思いやる心には壁など存在せず、そしてそれは、あらゆる困難に打ち克つ可能性を秘めていることを、多くの名も無き人々の行動を通して、あらためて教えられたような気がします。

最後に、被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

報恩感謝 主人 山本雄吉