読み物

洗心言

2014年 新春の号


四季 花ごよみ

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四季 花ごよみ【椿】
万葉の時代から日本人に愛された椿。常緑で生命力が盛んであることなどから、邪気を祓う神木として崇められました。

故きをたずねて道を知る

悠久の時の流れに耐え、連綿と読み継がれてきたわが国の古典文学。珠玉の作品には、人間力を高め、こころ豊かに生きるための知恵が息づきます。
新春の「故きをたずねて道を知る」は、ある男の人生絵巻が和歌とともにつづられた、『伊勢物語』をひもときます。

「優美を愛し、
洗練された恋を愉しむ雅」

『伊勢物語』は、平安時代の初めごろに生まれた歌物語。ある男の元服(成人式)から死に至るまでの人生が、恋愛や友情、別離など、さまざまな人間関係を通して描かれています。作者は不明ですが、『小倉百人一首』にも歌が採られた伊勢や、紀貫之などを書き手とする説があります。
『源氏物語』に大きな影響を与えた物語の主人公は、在原業平といわれています。業平といえば平城天皇の孫にあたり、清和天皇の女御となる藤原高子(ふじわらのたかいこ)や、伊勢斎宮である恬子(てんし)内親王など高貴な女性と恋愛関係にあった稀代の美男子。『伊勢物語』にも、彼女たちとの恋物語を見つけることができます。
自由奔放な性格で、この二人以外にも数多くの女性と浮き名を流した業平。彼の一代記ともいえる『伊勢物語』は俗に雅の文学と称されますが、それはどういう意味なのでしょうか。

その答えは物語の初段にあります。元服を終えたばかりの男は、奈良の春日に狩りに出かけ、そこでたいへん美しい姉妹と出逢います。彼女たちを見初めた男は自分の狩衣の裾を破り、そこにつぎの歌を書いて姉妹に贈ります。
「春日野の若紫のすりごろも しのぶの乱れかぎりしられず」。これは『小倉百人一首』の第十四番、河原左大臣の一首を踏まえた歌。本歌と同様、恋に乱れた心を、自らの狩衣の乱れ模様になぞらえて詠んでいるのです。
初段は、つぎのような一節で結ばれます。昔の人は、なんとも大胆に雅なことをしたものだ、と。

雅は宮廷風という意味のほかに、優美なものを楽しむ心や洗練された振る舞いを表す言葉で、万葉の時代から使われていたものです。
一目見た女性に恋文を贈るのは、とても大胆な行いです。ともすれば下品になりがちな行為を、業平は機転を利かすことで、とてもスマートな求愛に変えています。このように、一見無鉄砲のようでありながらあか抜けた業平の振る舞いに、人々は驚きとともに強い憧れを抱いたのでしょう。
業平の品行は天賦のものだったのかもしれませんが、その奥にはやはり高い教養と、相手を思い敬う礼節があったにちがいありません。「おもてなし」にもつながる、雅な所作。業平とまではいかなくても、いくらかでも身につけられるようにしたいものです。


いろはに京ことば

京ことばで「はい」は「へぇ」。「へぇ」だけでも使われますが、ほかの言葉といっしょに用いられることが多々あります。
そうして生まれた言い回しの奥には、京都人ならではのニュアンスが秘められているのです。

「状況に応じて、
いろいろな役目を果たす「へぇ」」

たとえば、「へぇ、ちょっとそこまで」。これは、どこに行くのかを訊かれたときの答えとして、よく使われる言い回しです。もし、海外旅行に出かけるときであっても、答えはやはり「へぇ、ちょっとそこまで」。行き先を明確に告げることは無粋であり、「へぇ」の後に曖昧な表現がつづくことで、訊ねたほうも「お気をつけて」とただ一言。「そこ」がどこなのか問うことはなく、もちろん、互いに気を悪くすることはありません。言葉は交わしても、それ以上は互いに相手のことを詮索しない、京都人の気質を表す会話といえるでしょうか。

「あんなぁ、へぇ」という言い回しもあります。これは相手の注意を引こうとするときに使うもので、アクセントを「ぇ」に置くのがポイント。具体的には「あんなぁ、へぇ。うち今度お嫁に行くのんえ」というように使います。最近はあまり聞かれなくなった言い回しですが、むかしは女性どうしのおしゃべりで、よく使われていたそうです。

さて、京ことばで「へぇ」といえば思い出すのが「おおきに」。舞妓さんがよく使う言い回しとして、ご存知の方も多いことでしょう。もちろん、本来これは「はい、ありがとうございます」の意味ですが、使い方によってさまざまなニュアンスを出せる言い回しです。

たとえば、誰かにデートに誘われても気乗りしないときに、「へぇ、おおきに」というと、それは「誘ってくれたことは嬉しいが、遠慮しておきます」という気持ちの表現になります。また、仕事で新しい提案を受けて「へぇ、おおきに」と答えると、それは「考えておきます」、つまり「お断りします」の婉曲表現。言われたほうはどちらの場合も、肯定の意味として受け取ると大恥をかいてしまうので、くれぐれも注意が必要です。

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正月七日にはじまる花街の一年。
芸妓や舞妓が行き来する通りには、
「へぇ、おおきに」の声が行き交う※上七軒は九日


百人一首 こころ模様

名歌にこめられた「心」に思いを馳せる「百人一首 こころ模様」。
新春の一首は、源宗于朝臣の第二十八番です。

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山里は 
冬ぞさびしき 
まさりける
人目も草も かれぬと思へば

源宗于朝臣
山里はいつもさびしいが、冬になればことにさびしさが感じられる。
訪れる人もなく、草も枯れ果ててしまうと思うと。

都が雅なら、山里は鄙(ひな)び。都の華やかさとは対照的に、山里は田舎めいて侘しいものです。春には咲き匂う桜を愛でに、秋には紅葉の錦を狩りに多くの人がやってきますが、冬にはその訪れも途絶えてしまいます。そして草木が枯れ果て、侘しさを慰めてくれるものはすべて消え去り、後はただ、雪が降り積もるのを待つばかりです。

もっとも季節の移ろいに身を任せ、閑寂を愉しむ人にとっては、冬の山里はこの上ない住処なのかもしれません。誰にも煩わされることなく、仕事のために忙しく走りまわる必要もなく、庵にこもって自分の好きなように時を過ごせばよいのですから。

作者の源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)は、平安時代の中ごろを生きた人。光孝天皇の孫にあたる人物で、丹波や摂津、信濃などの国司を歴任した後に、正四位下右京大夫(しょうしいげうきょうのだいぶ)に至ります。しかし、これはあまり高い官位ではなかったため、宗于は自らの境遇を嘆きながら余生を過ごしたといわれています。当時の貴族社会の様子を描いた『大和物語』には、宗于が宇多天皇に出世をそれとなく願う場面が登場するほどです。

官人としては冴えませんでしたが、歌人としては優れていた宗于。『新古今和歌集』にはこの歌を含めて六首が選ばれ、小野小町や在原業平らとともに三十六歌仙の一人にも数えられています。また、恋愛遍歴も豊富だったそうです。

不遇なように見えて、四季折々に日がな歌を詠み、好きな女性に恋文を贈るなどして、宗于は充実した日々を送っていたのかもしれません。そう考えると、一見深い悲しみが感じられるこの歌から、人生を謳歌する気持ちが伝わってくるのですが、いかがでしょうか。


小倉山荘 店主より

次の世代に役立つように木を植える

あけましておめでとうございます。皆様におかれましては良いお年をお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。

また、一つ歳をとりました。この時期は今年一年はもとより、これからの人生について思いを巡らすに、ちょうどいい頃です。
歳をいくつ重ねても人のやりたいことには限りがなく、平均寿命が長くなった現代ではなおさらのことでしょう。

古代ローマの思想家であるキケロは、人生を論じた『老年について』の中で表題の詩句を引用しながらつぎのように述べています。農夫たちは自分に関係のないことを知りながら、自らの使命として、後の世に送り渡すべく木を植えるのだ、と。

自分は何をやってきて、これから何をすべきか。考えを深め、実行に移すための時間はまだ十分に残されています。

平成二十六年、本年も私どもは皆さまと大切な方との絆結びを支えるために、より一層の精進を重ねてまいる所存です。どうぞ変わらぬご贔屓を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

報恩感謝 主人 山本雄吉