読み物

洗心言

2015年 盛夏の号


四季の文

【波】
力強く、途切れることなく訪れるその姿から古来、波はよいことが絶えず押し寄せるしるしと考えられていました。

花鳥風月雨雪

日本が世界に誇る文化や芸術。その礎には、この国ならではの季節感や自然観があるといわれています。
四季が豊かな国に生きることで育まれ、受け継がれてきた独特の感性をご紹介する「花鳥風月雨雪」。盛夏は、風にまつわるお話しです。

「見えない移ろいを、言葉につむぐ

土用間、はえまじ、日方。あまり聞きなれないこれらの言葉には、ある共通点があります。それはみな、夏の風であるということ。土用間は、一年で最も暑い土用に涼をもたらす北風。はえまじは土佐に吹く、台風並みの強い風。日方は太陽がある方向から吹く風。

ひと口に夏の風といっても、南風や涼風のほかに、吹く時期や地方によってさまざまな呼び名があります。一説に、日本語には四季を通して二千以上も風をあらわす言葉があり、これほど多いのは世界でも稀といわれています。

風という、目に見えない自然の振る舞いをこまやかに感じ取り、それを言葉につむいできた日本人。その感性は、一体どこから生まれたのでしょうか。

二千を超える風の呼び名の多くは、漁師や農家の人たちが付けたものといわれています。自然を相手に生活の糧を得ていた人たちにとって、天気の変化をもたらす風の移ろいを知ることは、自分たちの暮らしといのちを守ることでもありました。

それゆえ風のわずかな動きにも心を砕き、その繰り返しが五感を研ぎ澄まさせ、より多くの風を読み取る感性を育んだのでしょう。そして、漁業や農業は人と力を合わせて取り組む仕事です。もし、誰かが風の移ろいを感じたら、それを仲間に分かりやすく伝えなければならず、そこから一つひとつの風に、個性豊かな名前を与えるようになったと考えられています。

そもそも日本人は古くから風の移ろいに敏感で、こちらは『小倉百人一首』の第二十九番の作者として知られる、凡河内躬恒の一首。

夏と秋と 行き交ふ空の通ひ路は かたへ涼しき 風や吹くらむ

行く夏と来る秋とが行きちがう空の通り道では、きっと片側にだけ涼しい風が吹いているのだろう。

暑い盛りでも、風は少しずつ優しくなり、やがて新しい季節を運んできます。風流を楽しむために、そして、数多くの呼び名にこめられた先人の想いを受け継ぐためにも、この夏は五感で風を味わってみてはいかがでしょうか。


京の顔あれこれ

日本だけでなく、世界が注目する古都の知っているようでよく知らないいろいろな「顔」をご紹介する「京の顔あれこれ」。
盛夏は、寺社についてのお話しです。

数の多さではなく、
有名さで日本一?

京都を代表する景色といえば、お寺や神社のある眺めといっても過言ではないでしょう。京都を訪れたことのない方でも、金閣寺や清水寺のたたずまいをよくご存知でしょうし、平安神宮の大鳥居をテレビや本などで一度は見たことがある、という方も多いのではないでしょうか。

お寺や神社は京都の象徴であり、実際にまちのあちらこちらで寺社を見かける。だから、その数はどちらもきっと日本一にちがいない、と思われがちですが、実はそうではないのです。京都府内のお寺の数は三千八十五山で、第五位。神社の数は十位以内にも入っていません。

ちなみに、日本でいちばんお寺が多いのは愛知県で四千六百三山。神社の数は新潟県が最も多く、四千七百以上の社が鎮座しています。

実際の数でみると、京都は日本一ではありません。しかし、全国的に名を知られた寺社の数にしぼっていえば、おそらく京都が日本一ではないでしょうか。京都府には「古都京都の文化財」と銘打たれた世界文化遺産があり、それを構成する十七の文化財の中で、二条城をのぞいた十六の文化財(うち一つは滋賀県・延暦寺)が寺社。そのリストには金閣寺や清水寺はもちろん、五重塔で名高い東寺や宇治の平等院、葵祭の舞台である上賀茂神社や下鴨神社といった名所がずらりと並んでいます。

もっとも、数の多さや有名かどうかにこだわるのは、そもそも罰当たりなこと。大切なのは名声などではなく、悠久の時を超えて先人が守り抜いてきた想いや願いを、未来に引き継ごうとするこころではないでしょうか。

神仏習合といい、かつて日本では土着の神と仏教が結びつけられていた。

その現われが恵比寿天などの七福神

百人一首 千年の景

名歌に詠われた情景をご紹介する「百人一首 千年の景」。
盛夏の一首は、鎌倉右大臣の第九十三番です。

世の中は 
常にもがもな 
渚こぐ
あまの小舟の 綱手かなしも

鎌倉右大臣
この世がいつまでも変わらずにいてほしいものだ。渚を漕いでゆく漁師の小舟が、綱手をひかれるさまは何とも愛おしいものだ。

詠み手の鎌倉右大臣は鎌倉幕府の第三代将軍、源実朝のこと。この歌は『万葉集』と『古今和歌集』にそれぞれ収められた二首の本歌取りですが、実際の風景をもとに詠んだものといわれています。

それは鎌倉の海岸だったのでしょうか。引き網で曳かれ、波打ち際をゆっくり進む小舟がひとつ。海辺であればどこでも、いつでも見られる眺めです。しかし、実朝はこれといったことのない風景に愛おしさを覚え、そんな景色の広がる世の中が千年も万年も続いてほしいという切なる想いを、三十一文字に託しました。

実朝は鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝と北条政子の次男としてこの世に生まれました。やがて、兄の頼家が幕府の執権である北条時政によって追放されたことで、将軍の座に就きます。もっとも、将軍といっても政治の実権は北条一族が握り、わずか十二歳の実朝はお飾りに過ぎませんでした。

このようなこともあり、あるいは本来の性格がそうさせたのか実朝は政治への関心があまりなく、管弦や蹴鞠といった京都風の公家文化への憧れを強めていきます。和歌は後鳥羽院歌壇の中心であった藤原定家に学び、みずからも歌人として名を馳せ、九十二首が勅撰和歌集に収められているほどです。

しかし、名ばかりの将軍とはいえ、幕府内の激しい政争から逃れることはできず、自身も成長とともに政治への関心を高めていきました。そんな実朝に、ある不安が頭をもたげます。追放され、後に殺められた兄のように、自分もいつ命を狙われるかわからない。そして、実朝は二十八歳の若さで暗殺されます。

ありふれた日常こそが愛おしいことを、思い起こさせてくれる名歌です。


小倉山荘 店主より

もし下を向いたままならば、虹をけっして見つけることはできないだろう

空を見上げる。ただそれだけで、記憶から消えていた多くのことが心に蘇ってきそうです。

仕事や日常の忙しさに気を取られ、空を見ることを長く忘れてしまってはいませんか。苦しみや深い悲しみの中で、空を見る気持ちになれない人もいるかもしれません。しかし、生きている限り、空は誰の上にも平等に広がっています。

背筋を真っ直ぐに伸ばし、深く深呼吸をすれば気分が晴れ、果てしなく続く空を眺めていると、自然と心が落ち着きます。夜空の星を眺めていると、疲れた身体と心が癒やされていきます。

笑いを通して人間愛を描いた喜劇王、チャップリンの言葉通り、空を見上げることは希望を取りもどし、新しい自分に出逢うことなのかもしれません。慈雨に洗われた青空の向こうには、七色に輝く明日が待ち受けているのですから。

報恩感謝 主人 山本雄吉