読み物

洗心言

2017年 仲春の号


折々の吉兆

春になると日本にやってくる、渡り鳥の燕。古くから縁起のよい鳥とされ、その巣は豊作の象徴として尊ばれました。

贈るこころ 伝えるすがた

古くから「贈る」ことを大切にしてきた日本人。感謝や祝福の気持ち、愛情や敬いの心を伝えるために、先人はこの国独自のさまざまな姿を生み出しました。

仲春は、三十一文字の文学「和歌」に関するお話しです。

三十一文字と折り枝に込められた愛慕

『源氏物語』の第三十二帖、梅枝の巻にこんな歌があります。

花の香は 散りにし枝に とまらねど うつらむ袖に 浅くしまめや

花の香りは花が散った枝には残らず、薫物を焚きしめた袖には深く残るでしょう。

愛娘である明石の姫君の、裳着(公家の女子の成人式)の支度にいそしむ光源氏に、友人である朝顔が届けた一首です。

この歌がしたためられた文には、裳着を記念する薫物合わせのために、光源氏からつくるように頼まれた薫物に加えて梅の枝が添えられていました。このような枝を折り枝といい、『源氏物語』には梅のほかにも桜、藤、橘、朝顔、菊、紅葉、竜胆などの枝や花が、それぞれの季節にあわせて登場します。

『源氏物語』が書かれた平安時代の中ごろ、歌は創作であるとともに、心を伝える手段という側面をもちあわせていました。平安人は、愛する人、親きょうだい、友人に向けてさまざまな想いを三十一文字の歌に託して、それを頼りとして贈っていたのです。そして、その際には折り枝が添えられ、色とりどりの花の枝は歌に彩りをもたらすだけでなく、詠み手の想いをより印象的に伝えたり、ことばでは言い表せない何かを匂わせる役割を果たしていたのです。

朝顔は、光源氏の長年におよぶ求愛を受け、自らも好意を寄せつつ、光源氏と関わった姫君の多くが不幸になっていることを知り、妻にはならなかった女性。光源氏とは、折に触れて歌を詠みかわすよき友人としての付き合いをつづけ、最後まで独身を貫きました。

そんな朝顔に、光源氏はこのような歌を返しました。

花の枝に いとど心を 染むるかな 人のとがめむ 香をばつつめど

花が散ってしまった枝に、私は心惹かれるのです。人がとがめるかもしれないと、枝に香りをつつみ隠しているあなたであることを、私は知っておりました。

かつて愛した男性の娘の、晴れの門出を祝う気持ちを伝えつつ、いまだのこる未練をそこはかとなく匂わせた朝顔。その気持ちをおもんぱかるような歌を贈った光源氏。

なんとも風雅な心のまじわりと言えないでしょうか。


春夏秋冬 古都のいぶき

四季折々の風趣に富む古都、京都。古くは平安時代から人々の心を彩ってきた自然の営みをご紹介する「春夏秋冬 古都のいぶき」。

仲春は、花についてのお話しです。

千年の時を超えて咲く
『源氏物語』の華

東、西、北の三方を山に囲まれた盆地にあり、内陸性気候の特性をもつ京都は比較的、四季の移り変わりがはっきりとしたところ。それゆえ春夏秋冬それぞれの自然を楽しむことができ、なかでも花の移ろいは古くから、京都に暮らす人々の心をとりこにしてきました。

その様子は古典文学からも知ることができ、たとえば紫式部の『源氏物語』。平安貴族の優美な世界を描いた名作には百種類を超える植物が登場し、色とりどりの花は物語に彩りをもたらすとともに、いにしえの京都の四季の風趣を今に伝えています。

春は桜にはじまり、山吹、藤など。夏は文目や撫子、桔梗。秋は荻や藤袴、そして紅葉。冬から春にかけては梅や椿。

これらの植物は、いまも京都のあちらこちらで見ることができますが、いくつもの花を一度に、それも趣ある庭園で愛でることができるのが白河上皇や鳥羽上皇とゆかりの深い古社、伏見の城南宮。境内の神苑には『源氏物語』に登場するおよそ八十種類の草木が植えられ、四季それぞれの彩りを、光源氏の邸宅である六条院をモデルに白河上皇がつくったというかつての城南離宮を思わせる庭園や、寝殿造りの庭を模した庭園で楽しむことができます。

弥生三月は、紅や薄桃、白といった色とりどりの椿、そしてしだれ梅が見ごろを迎えるころ。さらに暖かくなると、しだれ桜が庭園を染め、若葉が目に眩しくなれば躑躅や文目が鮮やかに色づきはじめます。平安貴族が愛した彩りを、今も気軽に味わえるのも、京都ならではの楽しみです。

城南宮の春を彩る歌会、曲水の宴。

宴の間、白拍子が舞を披露する。

百人一首 心象百景

三十一文字に込められた心情をご紹介する「百人一首 心象百景」。

今回の一首は、柿本人麻呂の第三番です。

あしびきの
山鳥の尾の 
しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む

柿本人麻呂
山鳥の垂れさがっている尾がいかにも長いように何とも長い夜を、私は恋しい人の訪れもなくただ一人、さみしく過ごさなければならないのだろうか。

長い夜を、一人で過ごす侘しさが切々と詠まれた万葉時代の歌。重要な役割を果たしているのは山鳥ですが、それは長い夜を導き出す、長い尾を持っているからだけでは終わりません。

日本固有の種である山鳥は、赤銅色のからだはキジぐらいの大きさですが、尾がその二倍くらいあるのが特徴の鳥。その名の通り、山に住む山鳥には古くから、独特の習性が言い伝えられてきました。それは、雄と雌は昼はともに過ごすのに、日が暮れると峰を隔てて離れ離れで寝るというもの。そのため山鳥はひとり寝の寂しさを表すものとして知られ、万葉時代から三百年近い時を経て書かれた清少納言の『枕草子』にも、雌雄が別々に寝る様子を切なく思う気持ちがつづられています。

永遠に続くと思えるほど長く感じられる秋の夜をただ一人で過ごす。その心に思いを馳せるとしみじみと、言いようもない侘しさを感じますが、しかしどこか艶かしさを感じさせるのも、この歌の魅力なのかもしれません。

作者の柿本人麻呂は七世紀末から八世紀の初めごろ、天武天皇や持統天皇の時代を生きた宮廷歌人。『万葉集』に多くの歌が残され、のちに山部赤人とともに歌聖と称され、後世の多くの歌人からの尊敬を集めました。

この歌は平安時代に人麻呂の代表作とされ、『小倉百人一首』にも撰されたわけですが、しかし『万葉集』には詠み人知らずとなっています。そもそも人麻呂は謎の多い人物だったそうで、この歌がどうして人麻呂作となったのかについても、詳しいことは分かっていないようです。


小倉山荘 店主より

楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴を見る
オスカー・ワイルド

この例えは、楽観主義者は「ドーナツだ!」と思うが、悲観主義者は、「ドーナツは真ん中が空いているから、その分、損!」と考える、ということです。確かにあらゆる事がらは、それを見る人の捉え方によって、良いと悪いの、どちらにも考えることができます。

作家の井上靖さんは「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」と格言を残しています。この言葉は、「希望を語っていれば努力する気持ちになり、不満ばかり言っていると怠けるようになってしまう」と言い換えることもできそうです。

人生のすべてが順調ということはありえませんが、常に希望を持ち続けているだけで、気持ちは前向きになれるはずです。

私たちは、たった一度の人生を生きています。そこに「不幸」などなく、あるのは目の前で淡々と起きていることに反応する自分の心だけと思い、日頃から視点を変えて、物事をプラスに考えるよう心がければ、人生は百八十度違ったものになるのではないでしょうか。

報恩感謝 主人 山本雄吉