読み物

わたしたち

2019年 こころ躍る夏


絆をむすぶ小冊子

わたしたち

まばゆい光と蝉しぐれにこころ躍る夏

いまを生きよとわたしたちを勇気づける
いのちの大合唱

ことしも、蝉しぐれの季節となりました。ミーンミーン、シャーシャー、ジージーと、いろいろな蝉の声を耳にすると、想い出すことがあるのでは。

陽が燦々と降りそそぐなか、友だちといっしょに網やカゴを持って近くの山に行き、蝉とりに夢中になった夏休み。
そして、きょうは何匹捕まえたとか、自分が捕まえた蝉のほうが大きいとか、みんなで自慢しあった懐かしい日々を。

大人になると、蝉しぐれは時に耳ざわりに感じるもの。でも、蝉が大きな声で鳴くのは、次の世代にいのちをつなぐために欠かせないこと。
ビルの谷間にこだまする声は、蝉たちが一生懸命に生きている証拠。一週間のいのちを、いまという一瞬を、謳歌している証し。

そう想うと、蝉しぐれは応援歌なのかも知れません。暑い盛りにはともにがんばろうと、仕事や勉強をしているわたしたちを励まし、陽が傾きはじめると声を和らげ、お疲れさまとねぎらってくれる。

さらに、蝉の声は大切なことを気づかせてくれる。地上に出た蝉のいのちは、七日あまり。
太陽の下、わずかな時間しか生きられない蝉は一瞬、一瞬にあらん限りの力を尽くす。その証しである元気いっぱいの声は、ともすれば昨日を悔い、明日を憂いるわたしたちに、いまという時を全力で生きよと勇気づけてくれる。

ことしも山、海辺、街なかに生まれてきた蝉たち。そのいのちの大合唱にこころを重ね、二度とない夏を謳歌してみてはいかがでしょうか。



わたしのありがとう物語

長岡京、小倉山荘の社員が体験した、忘れられない「ありがとう」。

第三回は、日本橋高島屋店・袴田秀樹の物語です。

三年前の秋、わたしは店長として現在の店に赴任しました。
店長という大役を初めて務めることに不安を感じていたわたしを、全力で支えてくれたのがともに店を盛り上げる、十数名のメンバーでした。それぞれ個性的で、年齢や経歴もさまざまなメンバーたちに教えられたことのなかで、特に心に留めているのがお客様との絆結びです。

赴任して間もないころ、わたしがご案内やお会計をしていると「いつもの人をお願い」と言われることがありました。
「自分も早く、お客様から信頼される存在になりたい。」そんな思いをメンバーたちに伝えると、こんな言葉が返ってきたのです。

自分たちはみな、「いつものをちょうだい」というひと言で、その方がお求めの商品や種類や個数を理解する。商品の包み方一つにしても、お客様それぞれのこだわりに的確にお応えしている、と。

それはまさに阿吽の呼吸であり、このような深い関係性を築き上げるには、メンバー全員の不断の努力が必要であったはずです。もちろん、時間もかかったことでしょう。

メンバーたちが共有している想いは、ただ一つ。それは、お客様が選ばれるのは大切な方に贈られる物だから、常に最高のもてなしをしようという想い。
この揺るぎない信念が束となり、やがて固い絆を生むことを、わたしたちはあらためて教えられたのです。

それからはお客様とより積極的にお話をするよう心がけました。
そして、相手の方を深く知り、その気持ちに寄り添うことで信頼をいただき、やがてご注文を承れるようになりました。

絆は一朝一夕に結ばれるものではなく、努力の積み重ねからはじまる。
お客様から「ありがとう」のひと言をいただくたびに、そのことに気づかせてくれ、ともに高みを目指す仲間のありがたみを心の底から感じています。


珠玉の歌に詠われた、人が人を想う気持ち

こころでよむ『小倉百人一首』

あひみての のちの心にくらぶれば 昔は物を 思はざりけり

恋するゆえの苦しみを切々と詠み上げた、権中納言敦忠の第四十三番。
恋が成就すれば、ひそかに想いを寄せていたときの辛さやもどかしさなど泡のように消えるものと思っていたのに、実はそうではありませんでした。

愛する人と離れて過ごすあいだの寂しさ、逢いたくても逢えない切なさは、それがたとえわずかな時間であっても耐えがたく、もし、そのあいだに相手の心がほかの誰かに移ってしまったら・・・。
このように思い悩む苦しさに比べたら、片思いの辛さなど物思いをしていないのと同じくらい底が浅く、取るに足らないもの。

複雑な恋ごころの源は、愛する人への一途な想い。その激しい思慕の情は千年の時を超え、現代を生きるわたしたちの心を揺り動かします。


書いて、整心 そっと、一息

一語一会 第三回

言葉の意味を噛みしめながら一文字ひと文字書いてみましょう。

冷暖自知

【冷暖自知(れいだんじち)とは】

水が冷たいか暖かいかは飲むとわかるように、借り物の知識ではなく、自分自身の体験を大切にせよという教え。


夏の虫は氷を疑う

表題の諺は、元来荘子の言葉です。長く生きられない夏の虫は冬を知らないため、氷の存在を信じないという話から見識が狭いことを意味する諺となりました。

夏の虫に喩えなくても、それはわたしたちの姿そのものです。人間の一生など、数十億年もの地球の歴史から見れば、ほんの一瞬、わたしたちにも知らないことが星の数ほどあります。
つぎの季節はおろか、明日何が起きるのか知らず、同じ人間同士でも、互いに何を考えているのかよく分かりません。

そんなわたしたちに取り柄があるとすれば、それは想像力を携えていることです。
知らないから、分からないからと心を閉ざすのではなく、イマジネーションの翼を広げる。相手が何に苦しみ、何を欲しているのかを想像し、痛みを癒やしてあげようと思いやることがわたしたちにはできます。

人間の一生は、確かに短いかもしれません。しかし、人の想像力に決して果てはありません。

報恩感謝 主人 山本雄吉