読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【23】牽牛織女の袖の墨


恋のしるし

待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ 八十)に
このような恋の歌があります。

 

人にのみ墨つく袖をかさねつゝ 恋ふるしるしもきみは知らじな
(久安百首 恋 待賢門院堀河)

 

あなたの袖にはもうたくさん墨がついているでしょう。
私が恋しているしるしなのに、あなたはそれを知らないのですか。

 

誰かに恋されると着物の袖に墨がつく。
理由はわかりませんが、そんなことが信じられていたようです。
人にのみ、つまりあなただけを思っているのに
気づいてくれないというのです。

 

堀河の歌は片恋ですが、
源俊頼(みなもとのとしより 七十四)は
諸恋(もろごい=相思相愛)を詠んでいます。

 

たなばたのひまなく袖につく墨を けふや逢ふ瀬にすゝぎすつらむ
(散木奇歌集 秋 源俊頼)

 

七夕の牽牛織女は隙間なく袖についた墨を
今日は逢瀬(の天の川)にすすいで捨てるのだろうな

 

牽牛の袖も織女の袖も墨だらけ。
年に一度しか会えないのですから、
さぞかし墨は「ひまなく」ついていたことでしょう。


情熱か執念か

現代では墨が身近にないので
墨が恋のしるしと言われてもピンときませんが、
この歌はどうでしょうか。

 

たてながら数のみつもるにしきゞの ともにわが名もくちぬべきかな
(久安百首 恋 待賢門院堀河)

 

恋する男が思いをかける女の家の門口に
五色に塗った木を立てる風習があったそうです。
長さは一尺ほどで錦木(にしきぎ)または染め木と呼び、
男は毎夜こっそり錦木を立てに行ったのです。

 

言わば恋の告白ツール。
女がそれを取り込めば受け容れたことになりますが、
承諾しなければ錦木は増えつづけ、やがて朽ちていきます。

 

気に染まない男が毎夜錦木を立てていく。
いずれ朽ちていくだろうけれど、それと同時に
冷たい女だと思われてわたしの評判も落ちていくだろう。
堀河は女の側からの不安を詠んでいます。

 

思ひかねけふ立てそむるにしきゞの ちつかもまたで逢ふよしもがな
(詞花和歌集 恋 大江匡房)

 

大江匡房(おおえのまさふさ 七十三)の歌は男の側から。
「ちつか」は「千束」のことで、
錦木が千本に達すると男の思いはかなうといわれていました。
匡房は立てはじめた初日に、
千夜も待たずに会えればと願っているのです。

 

およそ二年と九か月、雨でも嵐でも毎夜恋のしるしを立てつづける…。
ほんとうにそんなことをする人がいたとは思えませんが…。