読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【30】定家 後鳥羽院の不和


生田の杜の秋の露

今回は「最勝四天王院(さいしょうしてんのういん)障子和歌」から、
摂津国生田社(いくたしゃ=生田神社)を詠んだ歌を見ていきます。
まず名所絵に添える歌に選ばれた慈円(じえん 九十四)の歌から。

 

白露のしばし袖にと思へども 生田の杜に秋風ぞ吹く
(最勝四天王院障子和歌 大僧正)

 

白露がしばらく袖に留まればと思うけれど
生田の杜には秋風が吹いてそれを散らしてしまうよ

 

草葉の露が袖を濡らす間もなく風に散ってしまうという、
たいへんわかりやすい歌です。

同じ題で藤原定家(九十七)は自信満々の一首を提出したのですが、
採用されませんでした。

 

秋とだに吹きあへぬ風に色かはる いくたの森の露のした草
(最勝四天王院障子和歌 定家朝臣)

 
秋だと言えるほどに吹くわけでもない風なのに
(それでもその風をうけて)色が変わっていくよ
生田の杜の木陰の露をたたえた草たちは

 

定家が落選に納得がいかず不平を言いふらし、
主催者後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)との
不和にまで発展したのは有名な話です。
※旧バックナンバー【107】参照


秀逸だった定家の一首

歌題「生田社」は季節が秋に指定されていました。
後鳥羽院自身はこのように詠んでいます。

 

大かたの秋の色だに悲しきに いく田の杜に露ぞうつろふ
(最勝四天王院障子和歌 御製)

 

秋の風景はたいてい悲しいのだが
生田の杜の露が散るさまはひときわ悲しいものだ

 
一般論から始まる構成は後鳥羽院らしからぬ平凡さ。
自作を落選させたのは当然でしょう。

風に散る露を詠んだ歌では
藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ)が
一枚上手(うわて)でした。

 

問はじたゞいく田の杜の秋の色 露のかごとを風にまかせて
(最勝四天王院障子和歌 俊成卿女)

 

生田の杜の秋景色をあれこれ言うのはよしましょう
露の恨みごとは風に聞かせておいて

 

つべこべ言わず無心で秋に浸ってしまおうという潔さ。
露に感情移入せず、歌を詠むことも忘れて…。

 
定家の親友にしてライバル藤原家隆(いえたか 九十八)は
秋の風物詩である鹿の鳴き声を詠んでいます。

 

たづねつゝ生田の杜に宿かれば 鹿の音ながら秋風ぞ吹く
(最勝四天王院障子和歌 家隆朝臣)

 
生田の杜を訪れて宿をとると
鹿の声とともに秋風が吹くのだったよ

 
下の句は風情があるのに
上の句が説明的で情趣を欠いていますね。

定家の歌は斬新な上によく考えられており、
難解だという弱点はあるものの、群を抜く出来栄えでした。
落選の不平を言いたくなる気持もわかります。