読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【75】月を詠む顕輔


わかりやすい月の歌

秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
(七十九 左京大夫顕輔)

秋風に吹かれてたなびく雲の切れ間から
もれ出る月の光のなんと澄みきっていることか

百人一首でも屈指のわかりやすい歌を詠んだ
藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)。
遺された歌に凝った歌、難解な歌はほとんど見当たりません。
また顕輔の家集は月の歌が多いという特徴があり、
西行ほどではないにしても、月に詩心をそそられる歌人だったようです。

《詞書》
こもりゐたりし頃 月のあかき夜
平等院僧正のもとにたてまつりし

身をつめばたなびく雲もなき空に 心ぼそくも澄める月かな
(左京大夫顕輔卿集)

身をつねってみれば たなびく雲さえない空に出ている
澄んだ月が(わたしと同じように)心寂しく思えます

詞書の「平等院僧正」は行尊(ぎょうそん 六十六)を指します。
「身をつむ」は身につまされること、他者に同情すること。
顕輔は籠居(こもりゐ/ろうきょ)している自分と
ひとりぼっちの月をひき比べているのです。

籠っていた理由が書かれていませんが、
この歌を読むと百人一首の「秋風に」はただの叙景歌ではなく、
雲に遮られながらも輝く月に共感したか、憧れを抱いたか、
作者の心情が反映されたものに思えてきます。


月の名歌

月の歌の名手と思われていたからでしょうか、
顕輔は月を詠む歌会に無理やり引っ張り出されたことがあります。
時は九月の十三夜、娘とともに「後の月」を楽しんでいた
藤原忠通(ただみち 七十六)に呼び出され、
(本人によれば)這うようにして参上したのです。

暮のあき月の姿はたらねども 光は空にみちにけるかな
(左京大夫顕輔卿集)

晩秋の月の姿は満ちていない(=満月ではない)けれど
光は空に満ちていることです

秋は七月が初秋もしくは孟秋、八月が仲秋、
九月は晩秋、季秋もしくは暮秋と呼びます。
かつては仲秋の名月と合わせて暮秋十三夜の月を愛でる慣習がありました。
顕輔にしてはもの足りない歌かもしれませんが、
このとき高齢の顕輔は体調を崩して臥せっていたのです。

顕輔の月の歌でもっとも知られているのは、
おそらくこの歌でしょう。

難波江の蘆間に宿る月みれば 我が身ひとつもしづまざりけり
(左京大夫顕輔卿集)

難波の海辺の蘆(あし)の間に映る月を見ると
恵まれない境遇に沈んでいるのはわたしだけではないのだった

この歌は讒言(ざんげん)によって昇殿が禁止されていた時期のもの。
無念さをにじませながらも優美さを失わず、
藤原俊成(八十三)は『古来風体抄(こらいふうていしょう)』で
古典の秀歌にも劣らないと称賛しています。