読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【80】近江八景と落雁


舞い降りる雁

落雁(らくがん)という干菓子(ひがし)があります。
茶の湯などでもおなじみの伝統的なお菓子ですね。
名前は中国の軟落甘(なんらくかん)というお菓子に由来するとも
言われるのですが、これは文字どおりやわらかいものだったそうです。

もうひとつの説が、胡麻(ごま)を入れて作ると
黒く散った胡麻が雁(かり/がん)の群れに見えるからというもの。

中国山水画の画題「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」の中に
「平沙落雁(へいさらくがん)」という題があり、
雁が群れをなして平らな砂浜に舞い降りるさまが描かれます。
散った胡麻から絵画の「落雁」を連想したのだとしたら、
ずいぶん風流な人がいたものです。
 
瀟湘八景は中国の湖南省(こなんしょう)
洞庭湖(どうていこ)付近の景勝地からベスト8を選んだもの。

日本にある近江八景、金沢八景などの八景は
いずれも瀟湘八景に倣ったものです。
絵画化されたものでは広重の名所絵図
『近江八景』がよく知られています。

近江八景は琵琶湖南部の景勝地が選ばれています。
「平沙落雁」に対応するのは「堅田(かたた)落雁」で、
広重の絵では琵琶湖畔に小さく浮御堂(うきみどう)が描かれ、
夕暮れの空に雁の群れが低く飛んでいます。


琵琶湖はカイツブリの湖

この辺りはかつて天智天皇(一)の都があったところ。
柿本人麻呂(ひとまろ 三)が往時を偲ぶ歌を詠んでいます。
しかし平安時代以降は古都の地というより
景勝地、歌枕の地として詠まれるようになります。

ところで琵琶湖という呼び名は近世になってからのもので、
それまでは「淡海(おうみ)」や「近江海(おうみのうみ」、
「鳰(にお)の海」などと呼ばれていました。
鳰は水鳥のカイツブリのことです。

 
鳰のうみや 月のひかりのうつろへば 浪の花にも秋は見えけり
(新古今和歌集 秋 藤原家隆朝臣)

鳰の海よ 湖水に注ぐ月の光が変わっていくと
(季節がないはずの)波の花にも秋の色が見えるのだったよ

家隆(いえたか 九十八)は「映ろふ」と「移ろふ」を掛けて
琵琶湖の秋の風情を詠んでいます。

にほの海や かすみのをちにこぐ舟の まほにも春のけしきなるかな
(新勅撰和歌集 春 式子内親王)

鳰の海の霞の彼方を漕いでゆく舟が順風に帆を広げているのも
いかにも春らしいながめですこと

 
式子内親王(しょくしないしんのう 八十九)の歌は
追い風をはらんだ「真帆」に
「十分」や「完全」を意味する「まほ」を重ねたもの。
三句までが「まほ」を導く序詞(じょことば)になっています。

近江八景が選定されたのは近世初期。
東海道を行き来する人々が増えたころのことで、
このネーミングによって観光地としての
知名度が高まったといわれています。

現在は昭和になってから選定された琵琶湖八景が知られています。
湖北まで範囲を広げ、スケールの大きい景観が
選ばれているのが近江八景とのちがいです。