読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【92】鬼神と家隆


毘沙門天が吟じた家隆

鎌倉時代の説話集『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』に
このような話が載っています。

順徳天皇(百)の護持僧(ごじそう)だった
僧正行意(ぎょうい)が重い病の床に臥していました。
ついに命の危険を感じるほどになり、
夢の中で志貴の毘沙門(びしゃもん)に詣でると、
御戸帳を押し開けて恐ろしげな鬼神が姿を現しました。

鬼神に「やゝ」と呼びかけられた行意、
恐る恐るその姿を見ると、
鬼神は一首の和歌を吟じました。

長月のとをかあまりのみかの原 川波きよくすめる月かな

その声の素晴らしさに感嘆するうちに夢が醒めると病はたちまち癒え、
行意は普段どおりの日々を取りもどすことができました。

鬼神というのは毘沙門天のことでしょう。
毘沙門天は甲冑(かっちゅう)を身につけた武神の姿をしています。
「鬼」は悪ではなく、強さや大きさを表す言葉です。
 

『古今著聞集』は
この話をこのように締めくくっています。

此哥建保元年九月十三夜内裏の百首の御会に
河の月を家隆卿つかうまつれる也
彼の卿の哥は諸天も納受し給ふにこそ
(古今著聞集 和歌 第六)

歌は藤原家隆(ふじわらのいえたか 九十八)が
歌会で「川の月」の題で詠んだもので、
毘沙門天もそれを納受なさったというのです。


神を動かす歌の力

志貴の毘沙門というのは朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)のこと。
国宝の絵巻『信貴山縁起(しぎさんえんぎ)』で知られる名刹で、
本尊は四天王の一尊である毘沙門天です。

長月(旧暦九月)の十三日は「後の月」といって、
月を愛でて豆や栗を供える日。
十三日なので、家隆の歌は「十日あまりの三日」と
「甕原(みかのはら)」を掛けています。

川波は泉川の波。
藤原兼輔(かねすけ)のこの歌を意識しています。
 
みかの原わきて流るゝ泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ
(二十七 中納言兼輔)

みかの原に湧き出し草原を分けて流れるいづみ川よ
(その名のように)いつ見たからといってあの人が恋しいのだろう

和歌に神々が感応して願いを聞き届けたという話は
数多く伝えられていますが、
この説話の毘沙門天は頼みもしないのに夢に現れ、
行意に関係があるとも思えない家隆の歌を吟じて
病気を治してくれました。

『古今著聞集』の記述に漏れがあるのか、
名歌人の歌は神をも動かすと言いたかっただけなのか、
それとも天皇の病を治すはずの護持僧が
おのれの病を治せなかったのがおかしいと思ったのか、
編者に訊いてみたいところです。