読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【99】土蜘蛛と夷


征夷大将軍だった大伴家持

夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、
南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)という言葉があります。

このうち南蛮だけは今でも目にする言葉ですが、
意味するところは四つとも同じです。
古代中国では周囲の異民族を未開と見なして夷(えびす)と呼び、
住んでいる方角によって上記のように分類していたのです。

 
大和政権はこの考え方を採り入れ、
関東や東北地方に住んでいた
朝廷の支配に従わない人々を夷と呼んでいました。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)というのは
夷を討つために朝廷から任命された総指揮官を指します。
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は有名ですね。

しかしそれ以前、大伴家持(おおとものやかもち 六)は
征東(せいとう)将軍に任じられていました。
「征東」は東夷を征伐するという意味であり、
実質は征夷大将軍と同じだったと考えられます。


大和政権樹立に貢献

神話の時代にまでさかのぼると、
大伴氏(おおともうじ)の祖先天忍日命(あめのおしひのみこと)は
天孫降臨(てんそんこうりん)を先導していました。

またその後裔日臣命(ひのおみのみこと)は神武天皇が
日向(ひゅうが)高千穂(たかちほ)から大和へ進出する際に
やはり先導役を仰せつかっており、
八咫烏(やたがらす)の助けを得た話はよく知られています。

神武天皇の大和進出は神武東征(とうせい)と呼ばれます。
普通名詞の「東征」は軍隊が東に向かうことを指しますが、
神武東征は日向から瀬戸内海を経て東進した神武の軍勢が
大和の先住民たちとの戦いの末、
政権を樹立するまでを指しています。

 
『古事記』や『日本書紀』は
神武が戦った先住民を土蜘蛛(つちぐも)と呼び、
未開で凶暴な種族であるかのように描写。
胴が短くて手足が長いとか、土に掘った穴に住んでいた、
というような記述も見られます。

実際は土蜘蛛という蔑称が先にあり、あとから
いかにもそれらしい外貌や習俗が創作されたと
考えたほうがよさそうです。

また『風土記(ふどき)』などは
関東や東北にも土蜘蛛がいたと記しており、
大和政権に従わない先住民を
まとめて土蜘蛛と呼んでいたことがわかります。
これが家持のころには夷という呼び名に変わっていたのです。

 
神武東征は神話・伝説の世界ですが、
大伴氏は大和政権誕生のころから
天皇の軍勢を構成する武人たちのまとめ役、
あるいは指揮官の役割を担っていたと思われます。

大伴氏は土蜘蛛との戦いにおいても活躍し、
朝廷になくてはならない主要氏族として、
確固たる地位を築いていました。
新興勢力の藤原氏が天皇に寵愛されるようになり、
地位が脅かされるようになったのが、ちょうど家持の時代だったのです。

(→次号につづく)