読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【112】藤


藤は這うもの

『枕草子』の「木の花は」の段は
まず梅、桜、藤の春の花三種を挙げ、
藤については「しなひ長く色濃く咲きたる」が
「いとめでたし」と記しています。

花の房が長く撓(しな)っていて
色の濃いものが素晴らしいというのですが、
これは清少納言(六十二)だけの好みではなかったようです。

紫にやしほ染めたる藤の花 池にはひさすものにぞありける
(後拾遺和歌集 春 斎宮女御)

紫に幾度となく染めた藤の花が池のほとりを這っている
(濃く染めるには)灰を注(さ)すものなのだったよ

歌中の「やしほ」は「八入」と書きます。
染色で布を染料に一回浸すのを「一入(ひとしほ)」といいますから
八入は八回浸したことになりますが、この場合は
何回も何回も浸したという意味でしょう。
染料に灰汁を入れるのは色を濃くするためだそうです。

ところで、藤棚の藤を見慣れているわたしたちは
藤が這うという表現に違和感を覚えます。
しかし、藤は這うのです。

よそに見て帰らん人に 藤の花はひまつはれよ枝は折るとも
(古今和歌集 春 僧正遍昭)

詞書によると、遍昭(へんじょう 十二)が
花山寺(かざんじ=元慶寺)の住持だったころの歌です。

藤に対し、枝が折れてもよいから、
ちょっと見ただけて帰ってしまう人に這ってまつわりつけと
命じていますが、藤を見るだけでなく
きちんとお参りしていけと言いたいのでしょう。

藤を擬人化したこんな冗談が通じたのは、
多くの人が藤は這ってまつわりつくものだと
知っていたからでしょう。


松と藤

藤の枝を棚に這わせ、下から花を見て楽しむのは
藤が園芸植物になってからのことです。
棚がなければ藤は木々や岩肌にまつわりつき、這い上ります。

順徳院(百)の遺した『八雲御抄(やくもみしょう)』は
藤についてこのように記しています。

「松に懸るは尋常事也、枝葉ともによめり、はふとよめり、
かゝるといへり、池、浦、又いづれの所にもあり」
(八雲御抄 枝葉部)

いつはりの花とぞ見ゆる 松山の木ずゑをこえてかゝる藤なみ
(続拾遺和歌集 春 為家)

定家(九十七)の子、為家(ためいえ)の一首。
松の山の松の梢(こずえ)を越すほどに藤が花を咲かせ、
松の木が偽りの花をつけているように見えるというのです。

夏にこそ咲きかゝりけれ藤の花 松にとのみも思ひけるかな
(拾遺和歌集 夏 源重之)

重之(しげゆき 四十八)は
藤の花は松に這いかかるとばかり思っていたが、
春から夏にかけても咲きかかるものだったと、
「かかる」に掛けて藤の生育場所と花期を詠んでいます。

松にかかる藤波(=揺れる藤の花房)を詠んだ歌は多く、
松と藤の組み合わせは一般的な歌題だったようです。

四季の屏風に松を這う藤の絵が描かれていたと記す
詞書がいくつもあることから、
絵師たちが松と藤の組み合わせを好んだとも考えられます。
常盤(ときわ=常緑)の松はそれだけでもめでたい絵柄です。
そこに藤をからませて祝いの屏風の季節感を高めたのでしょう。