続『小倉百人一首』
あらかるた
【117】なでしこ
うるはしきなでしこ
初夏から中秋にかけて可憐な花を咲かせる撫子(なでしこ)。
日本に自生しているのはカワラナデシコ、フジナデシコ、
シナノナデシコ、ヒメハマナデシコの四種だそうです。
このうち後半二種は学名に”Makino”が付いていますから、
牧野富太郎博士の命名なのでしょう。
撫子を詠んだ歌人といえば『万葉集』の
山上憶良*(やまのうえのおくら)が知られていますが、
憶良はただ秋の七種(ななくさ)の植物を羅列しただけでした。
同じ『万葉集』でも、大伴家持(おおとものやかもち 六)は
このように詠んでいます。
うるはしみあが思ふ君は なでしこが花になそへて見れど飽かぬかも
(万葉集巻第二十 4451 大伴宿祢家持)
わたしがご立派だと思うあなたは撫子の花になぞらえても
見飽きることがないと、家持はいうのです。
天平勝宝七年五月十八日、
橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)邸で宴が開かれました。
客人は謝意を示すため主催者を讃える
歌を詠むのがならわしでしたから、
撫子と比べても遜色がないと褒められたのは奈良麻呂です。
この時代の「うるはし」は立派だ、端正だ、
欠点がないといった意味で使われることが多く、
きれい、かわいいというときは「うつくし」を用いていました。
家持は撫子を見飽きることがないほど
素晴らしい花と思っていたのでしょう。
大和撫子と唐撫子
平安時代の伊勢(十九)にこのような歌があります。
《詞書》
家に咲きて侍りける撫子を 人のがり遣はしける
いづくにも咲きはすらめど わが宿のやまとなでしこたれに見せまし
(拾遺和歌集 夏 伊勢)
「人のがり」は「人のもとへ」の意。
どこにでも咲くであろう撫子だけれど、
わたしの家の撫子を誰かに見せたいと思って差し上げたのですと。
伊勢がわざわざ大和撫子(やまとなでしこ)と詠んだのは
唐撫子(からなでしこ)と区別するためでした。
平安時代、新しく中国からもたらされた石竹(せきちく)を
唐撫子と呼んでいたのです。
《詞書》
なでしこの花の盛りなりけるを見てよめる
見るになほ此の世のものとおぼえぬは 唐撫子の花にぞありける
(千載和歌集 夏 和泉式部)
和泉式部(五十六)はこの世のものとも思えないと
唐撫子を称賛しています。
どこにでも咲く大和撫子を見慣れた目には
外国産の唐撫子(=石竹)が新鮮に感じられたのでしょう。
石竹は撫子より草丈(くさたけ)が低く、
花は華やかで葉の幅が広いものが一般的でした。
今では品種改良で種類が増え見分けがつきにくいのですが、
伊勢や和泉式部の時代には容易に判別できたのかもしれません。
*萩の花をばな葛花なでしこが花 をみなへし
また藤袴朝顔が花(万葉集巻第八 1538 山上憶良)