続『小倉百人一首』
あらかるた
【127】天降る山―天香具山(前)
国見の山
大和三山の一つ天香具山(あまのかぐやま)の標高は
約百五十メートル。山というより丘くらいの高さですが、
『万葉集』にはここから海が見えたとする歌があります。
《題詞》
天皇香具山に登りて国を望みたまふ時の御製歌
大和には群山あれど とりよろふ天の香具山登り立ち
国見をすれば 国原は煙立ち立つ 海原はかまめ立ち立つ
うまし国そ あきづしま大和の国は
(万葉集巻第一 2 舒明天皇)
詠んだとされるのは天智天皇(一)の父、舒明(じょめい)天皇。
国見(くにみ)は高いところから国を望むことをいい、
特に天皇が儀礼として行うものをそう呼びます。
国原(くにはら=平野)に立つ煙は豊作のしるし。
竈(かまど)の煙が幾筋も幾筋も立ち上っているのです。
いっぽう海原にかまめ(=かもめ)が数多く飛んでいるのは
魚群を見つけたからで、こちらは豊漁のしるしです。
天皇は美(うま)し国、理想的な国の姿を詠んだのです。
盆地にある天香具山から海原に群れるかもめは見えないはずですが、
神話では同名の山が高天原(たかまがはら)にもあるとされており、
天皇は大和の天香具山に登ることで
天上の天香具山に登ったと見なしていたのでしょう。
天香具山は支配の象徴
『伊豫国風土記(いよのくにふどき)』では
高天原の天香具山が二つに割れて天降(あも)り、
片方が大和の天香具山に、
片方が伊予の天山(あまやま)になったとしています。
天香具山の枕詞が「あもりつく(天降り付く)」だというのは
それを反映しているのでしょう。
天降りつく天の香具山 霞立つ春に至れば
松風に池波立ちて 桜花木(こ)の暗茂(くれしげ)に
沖辺には鴨つま呼ばひ 辺つへつにあぢむら騒ぎ
ももしきの大宮人の 退(まか)り出(いで)て遊ぶ舟には
梶棹(かぢさを)もなくてさぶしも 漕ぐ人なしに
(万葉集巻第三 257 鴨君足人)
春の天香具山は松を抜ける風に池波が立ち、
桜花(さくらばな)が花の下が暗くなるほど咲き、
沖では鴨(かも)が雌を呼んで鳴き、
あちこちに䳑鴨(あじがも)が群れ騒ぐというのです。
天香具山には水鳥が集まるほどの池があったのでしょうか。
天香具山の西麓に埴(はに=粘土)を神として祀る
畝尾坐健土安(うねおにいますたけはにやす)神社があり、
かつてその一帯に埴安(はにやす)池があったと伝えられています。
埴安の池の堤の隠り沼の 行くへを知らに舎人は惑ふ
(万葉集巻第二 201 柿本朝臣人麻呂)
人麻呂(三)は隠(こも)り沼(ぬ)と詠んでいます。
埴安池はこの時すでに、茂る草木の陰で見えないほど
小さい沼になっていたようです。
その後沼はさらに小さくなって消えてしまいましたが、
地形の調査によって南北に長い池があったと推定されています。
国見は予祝(よしゅく=予め祝う)の行事です。
天から降ったという天香具山は天皇家の象徴であり、
その頂上から支配下の国々に祝福を与えるのが
国見の目的でした。
→後編につづく