読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【134】仏さまとの縁結び


桜の引出物

ある年の三月、
六波羅(ろくはら)で講(¬=仏典の講義)があると
聞きつけた藤原基俊(ふじわらのもととし 七十五)は
女車(=女性用牛車)に乗せてもらい、会場の寺に向かいました。

しかし到着したのは講の終了後。
基俊はしかたなく経を読む尼を訪ねました。
尼の名も経典の名も記述がないのですが、
読経を聴き終わって暇乞いをする基俊に、
尼は満開の桜の枝を折って差し出したそうです。

引出物のつもりだったらしいのですが、
基俊はこのような歌を詠んでいます。

家づとにさのみな折りそ桜花 山の思はむこともやさしく
(基俊集上)

「いへづと(家苞)」は家に持ち帰るみやげ。
「な折りそ」の「な~そ」は禁止を表します。
みやげのために桜をそんなに折るなというのです。
山がどう思うか考えると恥ずかしいではないかと。

尼が歌人を、ではなく、
歌人が尼を諭(さと)しているのが面白いところです。


仏縁を結ぶ

百人一首に採られた基俊の「契りおきし」は、
息子の僧が維摩会(ゆいまえ)の講師に選ばれるよう、
藤原忠通(ただみち 七十六)に推薦を依頼したという
エピソードで知られています。

維摩会は興福寺で行われた《維摩経》を説く法会(ほうえ)です。
ここで講師を務めた僧は出世の道が開け、
高位に昇ることができたといわれています。

そもそも貴族が我が子を僧にするようになったのは、
一族の誰かが僧になることで仏さまとの縁を結び、
一族の安楽な来世、未来を願ったためでした。

また維摩会や法華八講(ほっけはっこう)などの法会に
多くの貴族が集まったのは経典を学ぶためだけでなく、
仏縁を結ぶという目的があったからです。

講に間に合わなかった基俊は尼に経を読んでもらい、
仏縁を結ぶことができました。
基俊にとってはその仏縁こそが家苞だったのです。

さて、基俊は少なくとも二人の息子を僧にしており、
幼少のうちから寺に預けていました。

《詞書》
南都におさなき子をやりて
雪のふりしかば師の僧のもとにやり侍りし

さらぬだに覚束なきに春日山 子を思ふ道に雪さへぞふる
(基俊集下)

そうでなくても心配なのに、人の親の心は闇ともいわれるのに、
奈良の春日山は雪まで降って道を隠してしまうと。
藤原兼輔(かねすけ 二十七)の有名な歌
「子を思ふ道にまどひぬるかな」を借りて、
我が子の身を案ずる心境を詠んでいます。

家集『基俊集』には寺にいる幼い我が子を思う歌が
いくつも収められています。
月がきれいだからとか、霜が降りたからとか、
何かにつけて思い出していたらしく、
まだ出世を願う気持はなかったようです。